追憶の日記から-1
1、うるむ月夜
ふるさとの 小野の木立に 笛の音(ね)の うるむ月夜や
* * *
父の転勤で長野に引っ越したのは、私が小学6年の冬でした。
母に連れられて隣家に引っ越しの挨拶に行ったのです。
隣家といっても付近ではその1軒だけで、竹藪と畑を挟んで100m以上あったでしょうか。外灯もなく、寒空に瞬く星が手を伸ばせば届くほどに近く、澄みきった空気が肌を刺す夜でした。
おとなって玄関を入ると、高い天井に湯気がたなびいていて湯の香りがしました。その温かさにホッとしていると、母も敏感にそれを感じたのでしょう。挨拶を受けた隣家の主婦に、ちゃっかりと、新居のお風呂がまだ使えないため、私だけでももらい風呂ができないかと、挨拶のついでに頼んでくれました。
「長野はお寒いでしょう、ご家族皆さんでいらっしゃいよ」
「ありがとうございます。この子彩乃と申します。兄がおりまして4人家族なんですが、引っ越しの片付けをまだしておりますので・・・なんですかこの子が大変寒がりまして、厚かましいお願いなんですが、この子だけでもお願いできたらと・・・」
母がくどくどとお願いしていると、奥の部屋から、背の高い色白の綺麗な女学生が走り出てきて、
「いらっしゃいよ」と私の手を取ってしまったのです。
「まあ、なんですかこの子は、挨拶もしないで」
「よろしくねおばさま、奈津子です。まあ、手が氷みたい。玄関は寒いから、さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」
「あら、あら・・・・・」
母たちの挨拶の続きを後に、居間に誘ってくれた優しく温かい手の人、その人が高校生の奈津子さんでした。
私は、その日からその家の同居人のようになってしまったのです。
奈津子さんが一人娘のせいでもあったのでしょう。ご両親からも「奈津子に妹ができたね」と言われるほどの可愛がられようでした。
奈津子さんを<お姉ちゃん>と呼ぶようになり、自宅のお風呂が使えるようになった後も、私だけはお姉ちゃんちのお風呂で一緒に入るようになっておりました。
お姉ちゃんちの新田家は、この辺り一帯の大地主の旧家のようでした。家は大きな古民家でしたが、水回りやお風呂は現代的に改装されていて、2・ 3人がゆったり入れそうなバスタブは、自宅のユニットバスより快適だったのです。というより、お姉ちゃんが私を離してくれなかった、というほうが正直なところでした。