お嬢と爽やかと冷静男-5
恐ろしいことに、ほんのついさっきまで話題の中心にいた人物、と言うか遠矢が廊下の反対側からこちらに駆けてくる。
いやもう勘弁してくれよ何だこの厄介ごとオンパレードは。しかも新聞部の四人は何を思ったのか動きを止めて、だけど無言で腕にこめる力を強くした。肩がミシミシいってるのはきっと気のせいのはずだ。
しかしまあ、こちらに近づいてくる遠矢を見て、スカート姿なのによく走れるなと思う。見えてしまうのでは? いや、別に何がって訳ではないのだけれど。
やがて遠矢は僕たちの前まで来て止まり、息を大きくひとつ吸って、
「幸一郎さん、今、暇ありますか? もちろん暇ですよね? 暇だって言ってください!」
上気した頬を薄く朱に染めながら、両のこぶしを胸の前でグッとにぎりしめて唐突にそんなことを言いだした。
「とりあえず落ち着け」
「そんな暇なんて無いんです! 幸一郎さん、この後の予定なんて無いに決まってますよねっ? 友達いないのですからっ」
「……さらりと人格を否定された気が。――とにかく落ち着け。そしてこの現状を見ろ」
ため息混じりに言ってやると、遠矢は、え? と小さく洩らしながら首をかしげる。そして視線を僕の顔から四人につかまれている両肩、両肘へと順番に移して、またゆっくりと僕と視線を合わせた。
どうやら、ようやく僕がどのような状況に置かれているかを確認したらしい。少し驚きながら眉を寄せてひと言、
「……男の人にモテるんですね」
「ああ。分かってないようで残念だ。――後で覚えとけっ」
いったい何が悪いのだろうか。僕は間違いなくこいつの頭だと思うのだが。
「ともあれ取り込み中だ。丁寧に言うが――失せろ。お前がいると僕が危険になる」
「な、そんなっ――」
遠矢が何か抗議しようとしたとき、それをさえぎるように背後から、
「栗花落くんそれはひどいぜ栗花落くん! この人でなし!」
「……追い払う原因は誰だと思ってるんだ」
「いやいや栗花落くん、そんな些細な戯言より遠矢さんの純真可憐な御心を傷つけてしまったことを今すぐに懺悔(ざんげ)しようじゃないか御免なさい!」
やけにテンションの上がった阿呆がわめくのを背に聞き、
「そう、そうですよ! わたくし傷つきましたから、謝罪だと思って暇だと言ってください!」
前からはこれ幸いとばかりに勝手な言い分を突き付けられた。
「……全員落ち着け。特に遠矢」
辺りを見回してため息ひとつ。
「今、僕が暇じゃない理由は見れば分かるだろ」
「はい。男の方に迫られてるから――」
「よし黙れ。そして聞け。見ての通り、こいつらに捕まってるからだ」
「束縛趣味……結局は個人の嗜好ですから何も言いませんけれど」
こちらに向けられた視線に苦笑のようなものが混じっているが無視。
「……とにかく、だ。暇になってほしいなら、まずは僕じゃなくてこいつらに頼め」
「……なるほど。確かにそうですね」
気が付いていなかったのか。ある意味すごい。
「では……あの、皆さん、この方を放してあげてはくださいませんか? こんなのを捕まえていても、毒舌ばかりで塵芥ほども役に立ちませんよ」
「おい」
半目の僕を無視して、遠矢は真摯な表情でうったえる。それが効果的だったのか、
「そうですね! よし解放してやろう!」
「有難うございます、皆さん!」
「はははこんなのお安いどころか完全無料なご用ですよ」
何となく釈然としないものの、とりあえずは自由になった。強くつかまれていたせいで痛む腕をさすりながら、少しだけ遠矢に感謝した。もし遠矢が来なかったらまだ自由にはなっていなかっただろう。
……ん、何で捕まってたんだ? 遠矢が関係していたような。
まあいいか。
「これで幸一郎さんは暇ですね!?」
「……ああ、まあ見ようによってはな」
「でしたらお願いがあるんです!」
ひと息、
「今から少し付き合ってください!」
「……どこへ?」
「もう、何を言っているんですか!? 違いますよっ」
遠矢は焦れたように眉を立てて、そのひと言を口にした。
「しばらく彼氏になってくださいってことです!」
「はっ!?」
一瞬にして場の空気が凍り付いた。
ついでに背後からの敵意と悪意が殺意にまで合成・昇華した気もするが、それは些細なことだ。
「――あ。えっ、いや、だってな、ほら、つばさがいるし……」
「いったい何をうろたえているんですか。彼氏のふりだけですっ」
「ふり……?」
「ええ、詳しくは後で話しますから」
正直びびった。なんて分かりにくい言い方をするんだこいつは。
安堵のため息を吐きながら、後ろから放たれていた殺気も消えたのを感じる。どうやら助かったらしい。
そして二つの脅威が去ってほっとしていると、やや冷静さを取り戻した頭に、ひとつの疑問が浮かぶ。