日常と冷静男と奇妙な仲間-5
「……生きてるか?」
「あれ、いっちー?」
間髪入れず、ドア越しに少しくぐもった声が返ってきた。
「他に誰がいる」
「んー、その冷たいしゃべり方はいっちーだねー」
わりとお気楽そうに間延びした声を聞いたかぎりでは、あまり具合悪くはなさそうな気がした。
「入るぞ?」
「ダメ」
「……」
ドアノブを半分ほど回したまま固まる。
「……入るぞ」
「ダメだってば」
「……」
つばさの行動が意味不明なのはいつものことだけど。いきなり入室禁止を告げられるようなことはしていないはずだ。
「病人だからって調子に乗るな。入るぞ」
「あっ! 馬鹿、スケベ、ダメだってば!」
無視した。
一瞬、そこまで嫌がるということは中はどんなに物凄い状況なのだろうか、と思いながらドアを開ける。
だけど、その予想は外れだった。まずベッドの上で上半身を起こしていたつばさが目に入り、次にいつも通りの家具類が。それらはどう見ても、
「……別に普通じゃないか」
「う、うるさいっ」
つばさが投げてきたクッションをキャッチしてから、落ち着いて部屋を見回してみた。それでもやはり変化らしい変化は見当たらない。
「レディの部屋に勝手に入ってくるなんてサイテーだよ。変態っ」
ぶつぶつと文句を言うつばさ。
なんだこいつのこの態度は。せっかく見舞いにきてやったというのに。
……少しからかってやる。
「レディ? どこにそんなのがいるんだ?」
「むぅ。いるじゃん、ここにさぁ。いっちーの目は節穴?」
「……いじけてクッションを投げ付けてくるやつはレディなんて言わない。――ガキって言うんだよ」
「なっ……、いっちーの馬鹿! 大馬鹿! 人でなしっ!」
今度は枕を投げてきたけど、それもしっかりと受け止める。
「バカで結構。それより――」
「……?」
ため息を吐きながらベッドの横まで行く。そして半目で睨んでくるつばさの額にそっと手を伸ばし、
「あうっ!?」
びしっ。
渾身のデコピンを叩き込んだ。
「病人が騒ぐな。おとなしくしてろ」
「うぅ……ひどいよいっちー」
よほど痛かったのか額を両手でかばうように押さえ、涙目になりながらも僕を睨むその根性がすごい。
「とりあえず自業自得という言葉を知って寝ろ」
「えー? そんなことより、キズモノにした責任とってよね?」
「何か使い方が違わないか。いいから――」
枕を渡して、また顔の方に手を伸ばす。二度目のデコピンを警戒したのかつばさは少し身構えたけど、残念、今回は目的が違う。額は素通りさせて、頭に軽く手を乗せた。
「寝ろ。ただの風邪だからって甘く見てると長引くぞ」
え? と、つばさは一瞬だけ間抜けな顔をさらしたが、すぐに憮然とした表情で、
「……もう、ムードの欠片もないんだね。ダメリアリスト」
「性格だ」
「むぅ、女の子に嫌われるよ?」
「別に――お前に嫌われなければ、それでいい」
「え?」
あわててそっぽを向いた。直視なんてできそうもないから。
「これで――、これで少しはいいだろ?」
「……五十点」
苦笑混じりの返事。ああ、やっぱりバカだな、僕。
「厳しいな。じゃあ残りは……」
僕はベッドの端に座ると、つばさと向き合うような姿勢でゆっくりと肩に手を置いた。つかんだ肩は思ったより細くて、やっぱり女の子だなと思って。
「……目ぇ閉じろ」
「恥ずかしい?」
「聞くな。お前も十分ムード無いぞ」
「いいじゃん、似たもの同士ってことで」
「なんだよそれ」
「照れない照れない。素直に、ね?」
そんなくだらないことを言っているつばさも、やっぱり顔が赤くなるのだけは誤魔化せない。それは僕もだろうけど。
沈黙。
やがてつばさは顔を真っ赤にしながら、なにかを待つようにそっと目を閉じた。
……ああ、やっぱりこいつ可愛いな。
そんな恥ずかしくて口に出せないようなことを思って、心臓が暴れ回る。
そして、目を閉じたつばさに僕は、さんざん迷った挙げ句に、
「……」
ぴしっ。
軽くデコピンを叩き込んだ。そして、ぽかんとした顔をしているつばさに、
「……これでプラスマイナスゼロだ。ムード無いからな、僕」
「――っ、馬鹿っ」
「何度も言わせるな。バカで結構。百点の回答が欲しかったらさっさと風邪治せ」
それだけ言うとベッドから立ち上がって、ドアへと向かう。
そこに背後から聞こえてくる声。
「……じゃあ、約束だよ?」
消え入りそうな小さい声だったけど、確かに聞こえた。
「ああ。約束だ」
「……カッコつけ」
これには苦笑で返して、僕はつばさの部屋を後にした。
あれだけ元気だったのなら、早ければ明日には治るだろう。
そしたら……。
こうして今日も、騒がしい一日が終わりを告げた。
だけど、もうすぐもっと大変だ。
そして僕は、いるかどうかも分からない神様に願いながら家路に着いた。
この日々が、少しでも続きますようにと。
どうか神様、お願いだ。
(了)