部活と冷静男と逃亡男-9
「……飽きた。なんか鈴くんをいじるのも飽きた。ってな訳で帰るから、じゃ、そう言うことで」
「えっ、ちょ……」
それだけ告げると、止める間もなくいなくなってしまった。
結局、自称拓巳の親友が何をしたかったのかは謎だった。
「……」
ふと周りを見ると、あのくだらない問答の間に他の生徒は帰ってしまったようで、教室に残っているのは拓巳と凛だけになった。
「……えっと、みんな帰っちゃったね」
「……」
話し掛けてはみたものの、相変わらず重たい空気をまとっている拓巳と二人では会話もはずむ訳がなく、すぐに沈黙してしまう。
凛としては、せっかくの二人きりの時間をトークなり何なりで楽しみたいわけだが、拓巳がコレではどうしようもない。
当初の予定では、帰りぎわに何か適当に理由を付けて色々な所に行って、会話を楽しんだりしながらさり気なく雰囲気を盛り上げていって、何とか友達以上恋人未満な関係に終止符を……。
そんなことを考えていたが、チャイムの音ではっと我に返った。そして、くだらない妄想をしていた自分に気付き、恥ずかしさで顔が一気に熱を持つ。
ガタンッ!
「ひゃわ!?」
その時急に、さっきまで廃人寸前だった拓巳が立ち上がった。その拍子に椅子が派手に音を立てて倒れたが、拓巳は気にした様子もない。
「た、拓巳くん、どうしたの?」
「…………る」
「え?」
「……帰る……もう帰るっ! つまんないし何すんのか分かんないし美奈だし放課後だしずっと待ってるし、もう帰るッ!」
凛に背を向け、子供のようにわめきだす拓巳。
「大体、何分待たせるつもりなんだよ! 残れって言った本人が速効でいなくなるし、何様だぁぁぁああ!」
廊下を歩いていた生徒が叫びを聞いて、何事かという顔をしながら教室の中をのぞいてくる。その生徒と目が合ってしまい、微妙な恥ずかしさを感じながら提案してみた。
「あの、拓巳くん? もうちょっと落ち着いたほうが……」
「落ち着いてなんかいられないよ! 今日こそあいつにハッキリ言おう! 毎度のように美奈のバカみたいでくだらない我儘に付き合うほど、僕は暇じゃないって! だから逃げるんだよ! 僕はおまえらの玩具じゃないんだぁぁぁあ!」
背後に真っ赤に燃え盛る炎がちらほらと見えそうな、そんな勢いだけは立派だが、言ってること自体はかなり情けない。
「……じゃあ、それを言うのか?」
その時、拓巳の背に問い掛ける声が。
凛が振り向くと、見知った二人の女子が笑いながら立っていた。しかし、拓巳は気付いていないようだ。
「ああ、言うさ! 僕は今日で奴隷生活を終わらせて自由になるんだ! ビバ、フリーダムッ!」
「ふぅむ、そうかそうか。だとさ、美奈」
「…………へ?」
ギシギシと音がしそうな動きで拓巳が振り向く。
その視線の先、凛と拓巳の間に、今まさに話題にしていた人物たちが佇んでいるのに気付いて、拓巳の表情が強ばる。
「あ、あっれー? いつの間にいらっしゃったんでせうか?」
本人的には精一杯の笑顔のつもりなのだろうが、かなり引きつっているそれは、同情したくなるぐらいの哀しさすら漂っている。
対する由紀は、新しいおもちゃを手に入れたばかりの子供のようなイイ笑顔。
「ふふ、貴様なんぞに説明してやる義理も義務もないが、説明したほうが色々と面白そうだよな?」
「……あの、何となく分かったから遠慮させてもらいます……」
「まあ、そう言うな。今日の私は紳士的だから丁寧に丁寧に教えてやろうじゃないか。だがその前に――遺したい言葉はあるか?」
事実上の死刑宣告にますます笑顔が引きつり、笑っているというよりはほとんど泣き顔になる。
その顔を、凛は不謹慎にも面白いと思ってしまった。少しだけ御幸たちの気持ちが分かった瞬間だった。
「いいのか、何も残さなくて? ん?」
「……うぅ……もう、やだよ……エリ・エリ・レマ・サバクタニだよ……」
「エ、エリ?」
拓巳の口から出た聞いたことの無い言葉に凛は首を傾げる。それは明らかに日本語ではなかった。
ふとネオロギスム、という単語が頭に浮かんだ。確か、分裂症の一種で“既存の言語には存在しない新しい言葉を作る”という症状だったはず。
だとしたら、拓巳は遂に未知の言葉を造るほどおかしくなってしまったのか。