部活と冷静男と逃亡男-7
弐/華麗じゃない逃亡計画
その日、正確には月曜日の放課後、冬月凛は困っていた。
もちろん困っているからには原因があり、大抵はそれを取り除けば解決するし、そうしようとする。
しかし、今の凛の場合はそうできない理由があった。
曰く、原因を作る相手にその行為をやめるよう頼めない、つまりは原因を取り除けないということに困っているのだ。
迷惑行為に困り、それを注意できないことにも困っているダブルバインドだ。
やはり友達が言うように自分は押しが弱いのかと考えながら、凛はちらりと自分の隣の席に座っている原因に目をやる。
その視線の先には、普通の体型、人並みな座高、長くも短くもない髪。優しげともボーっとしているとも取れる顔立ち以外は『特徴が無いことが特徴』とも言えるような、そんな個性の薄い少年が机に突っ伏している。
しかし、彼を取り巻く友人関係が普通とはかなり違い、毎日のように大変な苦労をしていることを、最近よく巻き込まれる凛は知っているが。
その無個性少年――鈴村拓巳は、さっきから部活なり帰宅なりで次々と教室を出ていく人たちを眺めては、世界全てを呪うかのような沈痛かつ盛大なため息を吐いている。
また一人、目の前を横切って教室を出た生徒に全てのものを逆恨みしてるような感もある壮絶な視線を向け、再びため息。
隣でこれだけ空気を重たくされれば、困らない人間のほうがめずらしい、それぐらい、拓巳は負のオーラを放っている。
もっとも、生気がまったくもって感じられないその姿を気にしているのは凛だけで、級友たちはいつものことだと気にもせずに教室を出ていく。
悲しいかな、人望のない拓巳だった。
拓巳がこんなことになっている理由は単純明快、美奈および御幸と由紀の三人に、強制居残りを命じられてしまったからだ。
無視するのは簡単だが、そうなると明日が怖いとの理由から帰るに帰れずに、こうして世界の中心で恨みを呟いているのだった。
「うぅ、不幸だ……助けてください、助けてください……マジで……」
机に突っ伏しながらブツブツと泣き言を言い、全身からこれでもかと負のオーラを放つ拓巳の様子に、ついに心配の臨界点を越えた凛は思い切って声をかける。
「た、拓巳くん、大丈夫?」
「……ん? ああ、凛ちゃん」
頭を少し動かすだけでも面倒なのか、ひどく緩慢な動作でこちらを向く拓巳。
「ふっ、ふはは、問題ないよぉ。こんなのいつものことだからね。ふふふっ」
「そうなの?」
「そうなの。世の中に怖いものなんてないよぉ。ねぇ妖精さん、ご機嫌いかがですかぁ? あははははは」
「拓巳くん!?」
中空に視線を向けながら見えない何かに話し掛け始めた拓巳に、ヤバいものを感じて慌てる凛。拓巳の肩を掴んで、ガクガクと激しく揺らす。
「あははは、凛ちゃんがちょっと変だよ。ねぇ、みんな?」
「拓巳くん、しっかりして! そっちには誰もいないよ!?」
もはや必死の呼び掛けも虚しく、拓巳はへらへらと病的に笑っているだけで、返事はない。
凛は早くも己の限界を悟り、ダメ元で助けを求めるべく閑散とし始めた教室を見回す。このご時世、みな厄介事からは目を逸らすものだが、幸いなことに視線を向けても目を逸らされることはなかった。
と言うのも、単に元より誰もこちらを向いていなかった。
……ここまで無関心なのもすごいなー、人望ないのかな、と自分の中の冷静な部分が考えたが無視。
「……えっと、119のあと、場所と名前を言って、次に病人の状態を言って……あ、でも何て言えばいいんだろ? ……頭のおかしい人がいます? それだと呼ぶのは警察のほうがいいかな……うーん……」
もはやどうにもならないと、最終手段である救急車を呼びだす手順を一人でブツブツと呟いていると、
「……鈴くんも冬月さんも何してんの?」
呆れ半分、引き半分と言った感じの声が背後から向けられた。
自分の世界から現実に引き戻され振り返ると、御幸が声に込めた感情そのままの表情を浮かべながら立っていた。
自分以外に頼れそうな人がいた。それだけで随分と助かった気がする。敢えて性格には目を瞑るとして。
「あ、えっと、何だか拓巳くんがあっちの世界に行ったっきり戻ってこないから、救急車呼ぼうかと」
「へぇ……危ない薬でもキメて神様の降臨中かと思った……」
「ん、御幸くんなにか言った?」
「何でもない何でもない。宗教は深入りしたくないんだ」
「?」
そう呟いて、僅かに影を含んだ笑みを浮かべた。昔、何かあったのだろうか。