栄子 前編-3
「いつもの漢字ドリルと算数のプリントが宿題。それからこれがPTAからの連絡。月曜までに返事持ってきなさいって」
「あ……そう……」
俺は差し出された紙袋を無造作に受け取ると、玄関の扉に手をかけた。
学校とか、クラスメイトとか、そういうものとは出来る限り関わりたくなかった。
正直、人間関係でこれ以上傷つくのが怖かったのだ。
しかし栄子は帰ろううとしない。
「あの……ちゃんと受け取ったから……ありがとう」
俺はしかたなく礼を言って、玄関を閉めようとした。
「――――ねぇ」
栄子が唐突に口を開いた。
「――――え?」
「――――授業、ちゃんと受けなよ」
「…………は?」
驚いて顔をあげると、栄子はまるで挑むような視線で俺を睨み付けている。
正義感に燃えているようにも見えたし、俺に対してひどく腹をたてているようにも見えた。
「――小林に……関係ないだろ」
俺はなんとも言えない息苦しさを感じて、栄子を追い帰そうと肩を押した。
「……痛っ……」
栄子の顔が苦痛に歪む。
それと同時に、指の先から男子とは違うふにゃっと柔らかい肉の感触が伝わってきた。
期せずして、うやむやになりかけていた下半身の熱が呼び起こされそうになる。
俺の中に、何か危険な感情が芽生えようとしていた。
「このままだと、クラスで孤立しちゃうよ?…………サボっても自分が困るだけじゃない。一人で家にいたって…………ますます寂しくなるだけだよ」
俺が拒絶しているのに、栄子は尚も説教をやめない。
しかも俺が言われたくないようなことばかりズケズケというこの女に、俺は腹が立ってきた。
「…………ほっといてくれよ」
俺はイライラしながら扉を閉めようとした。
早く出ていってもらわなければ、とんでもないことをしでかしてしまいそうな自分が怖かった。
「――――待って。どうして学校が嫌なの?私でよければ話して。またみんなと仲良くなれるように、一緒に考えようよ」
――――は?
――――みんなと仲良く、だ?
こいつは根本的なことが何一つわかっていないらしい。
俺の中にどす黒く邪悪なものが渦巻き始めていた。
成績優秀で先生やクラスメイトからの信頼も厚い、真面目な学級委員長―――。
お前には、俺の抱えている絶望の深さなど全く想像つかないだろう。
「……あの…さ……」
俺は、急にしおらしい声を出した。
「……何?」
「じゃあさ……話……聞いてもらっても……いいかな……」
「うん。……うん、いいよ。私でよかったら」
栄子の表情からは怒りが消え、可哀想なクラスメイトに対する慈愛の心が溢れ始めている。
無知というのは呑気で幸せなものだ。
「じゃあ……入って」
「―――うん」
「家……今誰もいないんだ……」
そう言って栄子を玄関の中へ招き入れた時、俺は恐らく悪魔のような顔をしていただろう。