PiPi's World 投稿小説
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No668-08/12 10:57
源春(PC)
>663零凱さん、どうもありがとうです。

またやっちゃったって感じです。

作品中でもそうなんですけど、文章を書いた後の見直しって、実は手を抜いている事ってありますよね。
自分の頭の中だと完璧に出来上がっているので、おのずと読んでいる文面も間違い無しに見えてしまう。そう言うのって先入観って言いましたっけ?
自分はけっこうやっちゃう方です。

でもやっぱり、間違えると恥ずかしいと思いますね。特に大勢の人に見られる文章では格別に。
以前、シミュレーションを、シュミレーションと書いて、大恥を掻いた事があります。
自由な表現は万々歳ですけど、やっぱり正しい文章の使い方を覚えておいて、損は無いと思いますけど。


すみません、直ぐに格子のホコリをふき取ります。
No669-08/15 22:54
TALE(D701iWM)
>659零凱さん
過砕け文に限らず、どんな間違いや、場所等(ネット含む)によるローカルな言葉とかも気付いたからといって何が出来る訳でも無いので、待つしか無いですね。


誤植は日本語をややこしくするだけなので極力減らして欲しいですよね。

今は多くの文章があるので全てを直すのは難しいのかも知れませんが…



>660源春さん
こんにちはにこんばんはで返してすいませんっ!

最初から完璧な文章書ける人は恐らく居ないと思いますので、源春さんのように、試行錯誤を繰り返して、より良い作品を作り上げて行くのが一番の近道だと思います。


たとえ書式に傾倒する時期があっても、必ずそれらは力になるし、面白く書けなくなっても脱する事さえ出来れば両立出来ると信じています。


わかりにくい文章で申し訳無いですが、経験を積み、試行錯誤を繰り返すうちに、面白さと読み易さ、つまり自分なりの書式といった物が出来上がってきて、それが個性となるのでは無いでしょうか。


個性が見えてきても、そこが限界という訳でも無いと思いますので、常に一歩先行く自分を的にしていたいですね。
No670-08/15 23:22
TALE(D701iWM)
>661naoさん
時代と共に好まれる作風が変わる、同意します。


ただ、単語の意味や読み方、書き方が間違いや周りに合わせて何となく変わって行くような事は、出来れば無い方が良いですよね。

昨今のネット小説の誤字や脱字は、主にこういった理由からでは無いかと思っています。

話題に挙げられましたYoshiさんも、わざとやってるのかも知れませんが誤字脱字が多く、最初見た時は頼むから有名にならないでくれ、なんて思ったものです。


ターゲットが若年層だったので、逆に誤字脱字が功を奏したのかも知れません。

たとえ戦略だとしても誤字脱字は良いとは思えませんが、それも時代の流れと言えば仕方ないのかも知れませんね。


>663に零凱さんの指摘がありますが、同音異語が多く間違え易い日本語にも問題はあると思います。

日本人なんだから理解していて当然、と解る人は思うでしょうが、日本語の全てを理解している人が、そうそう身近に居るわけでもなく、また携帯電話の変換機能では表示出来ない漢字が数多くあるのも、日本人の日本語離れの原因となっているようです。


って何か日本語談議になっちゃいますね。


うまい事読み飛ばして下さい。
No671-08/15 23:49
TALE(D701iWM)
>664ソロさん
個人的には、分かり易い描写を記号等によって行う事により、日本語の種類が増えたら面倒な事になりそうだな、と思っています。

ただでさえ新しい言葉はカクテルのように一日に何百と生まれて次の日には忘れ去られていますが、それが徐々に一般的になっていくのは日本語をさらに難解な物にしていく事に繋がると思うんです。


日本語が難しくなればなるほど、若年層は簡略語を新たに作り、それが一般化して更に難解に…といった悪循環が出来つつあります。

いずれ止まる流れだとは思いますが、用心するに越した事は無いかな、と思っております。

と言っても、特に何が出来る訳でもないですが…


それと>665の件ですが、私は存じ上げておりますが、お気遣い有難うございます。

見直しましたが、『^^』がコッソリあるくらいだったので、恐らく皆さん分かってらっしゃると思います。



アンカーや引用は仕方ないとして、『?』とかも記号として見るなら微妙ですが…


小説内で使用しても何ら不自然でない記号であり、また使用方法も特に不自然でない場合は大丈夫なんでしょうか?

(笑)とかはグレーゾーンだと思って使わないようにしてましたが…
No672-08/16 00:11
TALE(D701iWM)
>666>667賢さん
言葉を識り、少々脚色してでも文字で感動を伝える事に留意するべきなんだな、と感じました。


記号はパッと見て理解出来るからこそ、その先にある意味について考える必要がなく、どうしても表現が薄くなってしまうのかも知れませんね。

また、作者が情景に合った言葉を知らないと取られる可能性がありますね。


小説だからこそ出来る描写、恥ずかしながら私はそこまで意識してませんでしたが、映画や漫画と違い、携帯やパソコンを使って、容易に言葉を紡いで自分の考えを形に出来る事が、小説の長所であり、短所であると考えていました。


小説でなければいけない部分のみで構成するのはプロでも難しいとは思いますが、確かに脚本の方がしっくりくる物が多いかも知れません。

ネット小説がドラマ化されている事からも、それが容易に想像出来ます。

制作者サイドからすれば、脚本的な方が楽だと思いますし。



それはさておき、私は今まで、いかに自分の中の映像を分かり易く、かつ想像し易くするかに重きを置いて文章にしていたので、脚本に近いのかも知れません。


真の小説、いつかは書いてみたいですね。
今は想像する事しか出来ませんが…
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