烏の雌雄-5
「……それ以来…何度も……」
急に息が苦しくなる。
こらえていた涙がぽろぽろと溢れて、言葉がでて来なくなってしまった。
「……もういいよ……ごめん…」
ヤナがたまりかねたように私の身体を後ろから強く抱きしめる。
ヤナがこんなにたくましい腕をしていたなんて知らなかった。
透き通るほどに白い肌の色のせいか、私はヤナに女性的な華奢なイメージを抱いていた。
でも今こうして私を抱いている筋肉質な腕はドキリとするほど男らしくて、私は急に落ち着きを失ってドギマギしてしまう。
今さらながら、あの男に身体をまさぐられている姿をヤナに見られたことが恥ずかしくなった。
「俺も同じような目にあってたから……わかるよ」
「同じような目……?」
ヤナは私の背中をギュッと抱いたまま、静かに語り始めた。
「俺は親が離婚してから、住み込みの家政婦にずっと性的虐待をうけてた。
―――家政婦っていっても三十前の若い女で、親父の愛人だったんだけど―――」
自分を虐待する相手が『常に家の中にいる』という恐怖感を、私は生々しく想像し背筋が冷たくなった。
「親父は一人の女で満足するような男じゃないから家にもあまり帰ってこないし――。
その度に俺が物置部屋にひっぱりこまれるんだ……。
その女は俺を虐待することで親父に復讐したかったんだろうな………」
おぞましい記憶をひとごとのように淡々と語るヤナ。
苦しみも哀しみも、もうとうに忘れてしまったかのような冷めた声。
――いや。
『忘れてしまった』のではなく『忘れてしまいたかった』だけなのかもしれない。
感情を押し殺しているけれど、ヤナは本当は胸が苦しくて泣き出したくてたまらないのかもしれない―――そんな気がした。
「だから俺……去年家を出たんだ。
………といっても、所詮ここのマンションも親父の金で買ったモンだから出たことにはならないけど」
金持ちの息子である自分を嫌悪するかのように、ヤナは自嘲的な苦笑いを浮かべる。
ヤナがこのマンションに住んでいたなんて知らなかった。
ヤナと私には不思議な因縁があるような気がしてならない。
私たちはやっぱりよく似ている。
育った家庭環境は全然違うけれど、どこか遠い過去の世界で私たちは深く繋がっていたような気がする。
私はヤナの手の上に、そっと自分の手を重ねた。
「……ヤナも……つらかったんだね……」
「…………そうかもな」
「……泣いて……いいよ?」
「……バカ……泣くかよ……」
私を抱きしめるヤナの腕に突然ギュッと力が入り、胸が苦しくなるほどの哀しみが私の中にドッと流れこんで来た。
肩ごしに聞こえるヤナの呼吸が不自然に乱れている。
「………ヤナ………」
―――泣いていいよ。
ヤナも誰にもこのことを打ち明けられずに、ずっと一人で抱えこんでいたのだろう。
大丈夫。
私にはヤナの気持ちがわかるよ。
だからヤナを軽蔑したりしない。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
私の哀しみとヤナの哀しみがゆっくりと混じり合っていくような気がした。
裸になった私とヤナの魂が――重なり合い、激しく抱き合って交わっていく。
魂が涙を流し、震えながら悦楽の喘ぎ声を漏らす。
その瞬間――
ヤマトの顔が頭を掠めた。