仮面-1
神様は不公平だと思う。
毎月毎月……
どうして女にだけこんな酷い苦痛を与えるのだろうか。
お腹の中にボウリングの球が入っているような不快感が、朝からずっと続いている。
下腹を支配する鈍痛が、集中力を極端に低下させていた。
日頃からただでさえ貧血気味の身体は、大量の血液を一時に奪われたせいで、午後の授業が始まった頃から激しい頭痛を併発している。
明らかにいつもより重い症状。
女の身体というのは、生活のわずかな変化にも欝陶しいくらい敏感に反応する。
ほんの些細なストレスや心境の変化が、月のモノに思いがけない影響を与えることがある。
数日前のヤマトとのセックスが頭をよぎった。
『相原……相原……』
行為の間、うわごとのように何度も繰り返し私の名を呼んでいたヤマトの声が今でも耳に残っている。
私だけが知っているヤマトの姿―――。
ヤマトに抱かれるまで、私はセックスとは一方的に奪われるだけのものだと思っていた。
男と肌を重ねれば重ねるほど自分の中の大切なもの、清らかなものがどんどん失われていくような不安感と恐怖感がいつも私を苦しめていた。
だけどヤマトは違った。
指先、手の平、唇……彼の肉体全てを使って私の中へ愛情を惜しみなく注ぎ込んでくれた。
繋がった部分を熱い肉の塊で擦り上げられる度に、私の内側がどんどん溶けだしてヤマト自身に絡み付き、いつしか二人の肉体そのものが一つに溶け合っていくような不思議な感覚。
直接的な快楽などと無関係に「セックスで満たされる」という初めての感覚を私は知ったのだ。
あれ以来、ヤマトのことを考えるだけで子宮の奥がぎゅっと収縮するのを感じる。
あの一件で、私の中に眠っていた「メス」の部分が覚醒してしまったのは確かなようだ。
その結果がこんな形で現れるとは自分でも想像していなかった。
『舞い上がっちゃってバカじゃないの?』
柄にもなく浮わついている「女心」を自分自身の肉体に嘲笑われているような気がして、軽い屈辱感を覚えてしまう。
恋をして素直にはしゃぐことすら出来ない私は、やはり屈折しているのだろうか―――。
「―――先生」
すぐ後ろの席の柳沢亮が突然立ち上がった気配で私は我にかえった。
――そういえば授業中だった。
頭と下腹が痛くて全然話を聞く気がおきない。
残りの授業時間はあと30分あまり。
私は机に突っ伏したまま時が過ぎるのを待つことにした―――が………。
「相原さんが具合悪そうなんで、保健室行ってきます」
――え?何?
ちょっと待って――。
突然自分の名前を言われ驚いて顔をあげると、クラス中の好奇の視線が一斉にこちらを向いていた。
戸惑う私を無視して、ヤナは私の手首をぐいとつかんできた。
ひんやりとした指先が腕に強く食い込む。
「……痛っ」
「相原、保健室行ったほうがいいって。顔真っ青」
何、この状況。
どうすりゃいいのよ。
教室はシンと静まりかえって、全員が私たちに注目している。
「わ……わかったよ……」
これ以上晒しものになることに耐えられなくなって、私はとりあえずヤナに従うことにした。
「……何あれ……?」
「なんか怪しくね……?」
教室を出る時ヒソヒソと囁く声が聞こえた。
この一部始終をヤマトが見ていると思うと、舌打ちしたいような気分になる。
めんどくさいことになっちゃったな……。
廊下に出ると同時に、私はヤナの手を強く振り払った。
手首には、ヤナの親指のあとがくっきりと痣のように残ってしまっていた。
「痛いよヤナ」
私は痣をこすりながら非難がましくヤナを睨みつけたが、彼はそれには答えず、口元に薄い笑いを浮かべている。
『なんなのこいつ……』
―――ゾクリと鳥肌が立った。
一年生の時から同じクラスだったけれど、考えてみれば私はヤナのことはほとんど知らない。
いつも黙って教室の端に座っている無口な男。
ひどく近寄りがたい感じがするのは、目の表情がわからないほど長くのばしている前髪のせいかもしれない。
お互い無口な私たちは、過去二年間会話らしい会話を交わしたことすらなかった。