投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

凪いだ海に落とした魔法はの最初へ 凪いだ海に落とした魔法は 121 凪いだ海に落とした魔法は 123 凪いだ海に落とした魔法はの最後へ

凪いだ海に落とした魔法は 3話-74

「でも、私はそうはしなかった。気のせいだと思いたかった。そんな酷いこと、信じたくなかったんだ。でも、現実から逃げたところで、何かが変わるわけでもないのよね。母さんが、二人の仲に気付いたの」

惚けたように焦点の定まらない視線は、見たくもない過去の幻影に苛まれているようだった。桃色の唇が、それ自体が自我を持った生物のように動いている。

「どうしてだろうね。母さん、私にだけは話してくれた。私にだけよ。二人は母さんが気付いていることを知らなかった。知らないまま、母さんは死んでいった」

唐突に紡がれた“死”という言葉に、僕は軽い目眩を覚えた。それは次に“自殺”という単語を連想させて、その非現実的な手触りに僕はひどく戸惑った。

「まさか、自分で?」と僕は訊いた。日下部が小さく頷く。
「表面上は何も変わった様子はなかったのに、ある日突然、バカみたな量のに薬を飲んでさ。本当に突然だったのよ。まるで気紛れでゲームのリセットボタンを押すみたいにね」
「そう」
「傑作だったよ。あの女、母さんが死んだってことを聞いて“どうしてこんなことに”とか言いながら泣いてるの。イカれてるんだ。自分が殺したことにも気付いてないんだよ。父さんも同じ。自分の家族が苦しんでいる理由なんて何も分かってない。母さんが命を絶ったのは、“呪い”が辛かったからじゃない。自分の中にある呪いのせいで、結果的に家族をばらばらにしてしまったから。たがら、自分の責任だって感じたのよ。皮肉だね。母さんを助けようとしていた人間が、寄ってたかって母さんを追い詰めたのよ。どうかしてる。みんなイカれてるんだ」

堰を切ったように日下部は一息に喋った。そして彼女は会話機能をオフにして、ふっつりと黙り込んでしまう。外界からの情報をすべて遮断しているような、頑なな沈黙だった。
僕は想像する。自分に呪い、あるいはそれに似た何かがあると仮定してみる。身近にいる大切な人がそれを治そうと尽力してくれる。でも、それが治らないことは自分自身が一番良く分かっている。僕のためではあるけれど、つまりそれは意味のない努力なのだ。その意味のない努力の渦中で、大切な人が僕から離れていく。自分を守ろうとしてくれていた人が、自分よりも大切な人を見付けてしまう。僕は何も悪くない。悪くないのに、その原因は確実に自分が作っているのだ。僕に非があるのなら、それを報いだと思うことができるから、まだ救われる。それさえ許してもらえないのなら、つまり、自分は要らない人間ではないのか、と疑ってしまうのは、無理もないだろう。

“楽しい”という感情のない人生がどのようなものなのか、僕には分からない。ただ、それが虚ろなものであることは容易に想像がつく。茫漠とした不毛の大地を歩むような道程の中、寄り添う相手もなく、孤独に生きていく。奇跡的に自分を理解してくれる人と出会うことが出来たとして、その相手に裏切られたら。ましてや、その因果が自分にあるとしたら。果たして自分が生きていることに何の意味があるのだろう。その帰結として死を選んだとしても、僕にはその選択を咎めることはできそうになかった。

ただ生きている。それだけで人を寄せ付けず、例外があったとしても、結局は自分の属性がその人を離れさせてしまう。

――ああ、確かに。それは紛れもなく“呪い”なんだな、と僕は思った。

「私が許せないのは」と日下部は重い口を開いた。
「あの女が、何処までも優しそうな人であろうとしていること」
「優しそうな人?」
「模範的な大人、という意味ね。あいつは、私にも優しくあろうとしている」
「別に悪いことじゃないだろ」

優しさは罪ではない。結果がどういうことになっても、優しさ自体が責められるようになってしまえば、世の中は回らない。でも、


凪いだ海に落とした魔法はの最初へ 凪いだ海に落とした魔法は 121 凪いだ海に落とした魔法は 123 凪いだ海に落とした魔法はの最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前