投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

せみしぐれ〜君といた夏〜
【その他 官能小説】

せみしぐれ〜君といた夏〜の最初へ せみしぐれ〜君といた夏〜 7 せみしぐれ〜君といた夏〜 9 せみしぐれ〜君といた夏〜の最後へ

せみしぐれ〜君といた夏〜-8

目が覚めた時、隣に彼女はいなかった。
きれいに畳まれた俺の服と、ひとり残された俺の耳には、相変わらず蝉時雨が響いていて。
気だるく重い体を引きずるようにして社務所の外に出れば、そこは、色鮮やかな夕焼け空だった。

どんな顔をして会ったらいいのだろう…そんな、気まずいような恥ずかしさで、しばらくぶらぶらと時間をつぶし、ようやく俺がおっちゃんの民宿に戻ったのは、夜も9時を回った頃だった。
そして。
俺は、予想もしていなかった事実を知らされる。
「千波ちゃんなぁ、さっき旦那が怒鳴り込んできてなぁ。連れて帰っちまった」


あれから、10年――。
あの人が消えてからまもなく、俺も東京に戻り、以前の遅れを取り戻すかの如く、俺は勉強やスポーツに励んだ。
そうすることで彼女のことを忘れ去りたかったし、忘れられると思っていた。
真剣に付き合った女性も…いた。
――それなのに。
俺の心の片隅には、今も、あの人がいる。

「お〜!よく来たなぁ。すっかり大人の男になったなぁ、玲二」
「…お久しぶり、おっちゃん。元気そうでなにより」
突然の来訪者にも、相変わらずのおっちゃんとおばちゃんは、嫌な顔ひとつせずに迎えてくれた。
「それにしたっけ、こんな平日に玲ちゃんたら、会社はどうしたね?」
「ん…。ちょっとね、10年前の…罪の懺悔をしに来たんだ」
「…はぁ…?」
不思議そうな顔をしているおばちゃんに、俺は曖昧な笑みを返した。

――そう、確かに罪だったと思う。
俺が、あの人にしたこと。
何の同意も得ず、ただひたすらに己の気持ちを押しつけ、その身体を蹂躙したのだから。
許されるとは思ってない。
ただ、再び会えるとも思えない今は、だから、せめてここで、10年前のあの人に謝ろうと思ったんだ。

「10年前の罪って…なぁに?」
「いや、それは…――えっ!?」

…振り向けば。
そこには、夢にまで見た愛おしい人。
「…千波、さん?」
「久しぶりね、玲二くん」
「ど、どうして…?」
長かった黒髪はショートになり、透き通るほどに白かった肌が少し日に焼けているあの人は、それでも、10年前と変わらない垂れ目で笑っていた。

「今ね、住み込みでここの従業員してるの。…10年前に、ここで私を地獄から救い出してくれた人がいたんだけど、お礼も言えないまま別れちゃって」
「…10年…前?」
「でもね、その人、私のことたくさん愛してくれたんだけど、唇にキスだけはしてくれなかった。…だから、いつかその忘れ物を思い出してくれるんじゃないかなって、待ってるの」
「――――……」
「たった一度しか、私の名前を呼んでくれなかった人なんだけどね。…忘れ物、思い出してくれた、玲二くん?」

涙が、あとからあとから溢れて止まらなかった。
10年の年月を、同じようにして過ごしてきた俺たち2人。
でも、待っていたのは罪の懺悔ではなく――あの時、意気地なしだった俺が出来なかった…忘れ物。
「…千波さん、思い出したよ」

胸に飛び込んでくる、相変わらずの小さな身体。
今、初めて触れたその唇は、驚くほど柔らかかった。

もうすぐ、蝉時雨は鳴り止んで、夏が終わりを告げるだろう。
そして、2人で歩く秋が始まる。

(終)


せみしぐれ〜君といた夏〜の最初へ せみしぐれ〜君といた夏〜 7 せみしぐれ〜君といた夏〜 9 せみしぐれ〜君といた夏〜の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前