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昏い森
【ファンタジー 恋愛小説】

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昏い森−睡蓮−-1

ちりん。

微かに鈴の音が睡蓮の耳に届いた気がした。

「・・・森羅?」

ひどく心許ない声は暗い部屋に吸い込まれるように消えていったが、応答はなかった。

ちりりん。

「・・・森羅。いるんでしょう?」

少しだけ声を荒げてみたものの、睡蓮の自信の無さを露呈しているように小さく響く。

返事を探して、睡蓮は暗闇に手を伸ばすが、触れるのは空気ばかり。

「森羅、森羅・・・」

睡蓮がどうしようもなく不安になったとき、背後から二つの腕が伸びてきて睡蓮を抱きしめた。

睡蓮は、温かな体温と幾らか早い心臓の音に包まれ、ほっと安堵する。

だが、睡蓮の絹糸のような黒髪に顔を埋める人物がくすくす笑っていることに気付き、睡蓮は憤慨した。

「・・・意地悪しないでって言っているでしょう。・・・森羅」

返事の代わりに、森羅の手首に付いている鈴が涼やかに鳴った。

「森羅が来たのなら、もう夜?」

「ああ。もう月が出ている」

男の声は低く、肌が触れているところから漣のように睡蓮に響く。

「・・・何処へも行かないで、一緒にいてくれるよね?」

日が昇ると消えてしまう男を放すまいと、睡蓮は男の腕をぎゅっと掴む。

「・・・そうしよう」

男は短く返事をすると、睡蓮の雪のように白いうなじに唇を寄せた。




「お嬢様。お食事はお済でしょうか」

侍女の控えめな、しかしどこか蔑んだ声が聞こえてきて、毎度のことながら睡蓮は辟易した。

お嬢様、などと。

内心では欠片も睡蓮をそのように思ってもいない者から発せられる言葉は滑稽でしかない。
そして、当人である睡蓮はきっと一層滑稽なのだ。

睡蓮が短く返事をすると、侍女は全く手につけられていない膳を気にするでもなく、そそくさと下げた。

侍女が唯一の扉から出て行ってしまうと、部屋にはもう淀んだ空気しか残らず、睡蓮は一層鬱々とする。

広大な森を抱く村の、一番裕福な家に睡蓮は生まれた。

だが、物心つくようになってから睡蓮はこの蔵のような(実際そうかもしれない)離れを出たことはなかった。

母の顔も父の顔も、分からない。
否、声さえも忘れてしまった。

生まれつき光を知らず、足も不自由な睡蓮は忌み子として、忘れられたようにひっそりと生きていた。

毎日食事を与えられ、侍女に身の回りの世話をされる、そんな自分はまだ恵まれているのだろうと思う。

だが、この闇の中、ただ己の存在だけがあるこの部屋の中で、何をするわけでもなく、ただぼんやりと生かされている自分は、何か生きるだけの意味はあるのだろうかと薄い意識の中で思うのだった。

暗い箱の中で、死を待つ人生なら、いっそ―。

睡蓮は決意した。


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