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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 1話-7

「まあ」と僕は言って、「それも悪くないかもな」と続けた。
少なくとも、排水で淀んだこの海よりは余程悪くない眺めなのだろう。

「だったらさ」と彼は言った。「お前、協力してくれよ。バイク買う金。一緒に行こうぜ。安物2台買ってさ、この街から出る」

その声は本気だったし、僕の肩を叩きながら送る眼差しも、真剣だった。ついさっき会ったばかりの相手に、自分の趣味に金を投資してくれと? 一緒に旅に出ようと?

「ああ、別にいいけど」

それでも、僕は迷うことなく頷いていた。何の抵抗も感じなかった。こいつがそう言ったら僕がその言葉を返すように、予め誰かにプログラムされていたかのように。

「原付なら持ってるよ、僕は」
「原付か。それで旅ができるかなあ。スクーター?」
「そう。ていうかさ、バイク買う前に免許はある?」
「ああ、それも必要か。よし。じゃあ今からファミレスでも行こうぜ。どうせ今から学校行く気もないんだろ? 作戦会議だ。本屋に寄ってバイク雑誌でも買ってさ」

彼は勢いよく立ち上がり、歩き出した。その足が躊躇なく線路へと向かうのを見て、僕は「おいおい」と慌てて呼び止める。昔の映画じゃあるまいし、何処を歩くつもりなんだ。

「大丈夫だって。後一時間は電車こねえだろ」
「そう言う問題じゃ――」
「そう言う問題だろ?」

そうなのか? そうかもしれない。きっとそうなのだろう。
世の中にはやって良い事と悪い事と、やってはいけないけれど、やったら楽しい事の三種類がある。僕らは楽しい事を選んだ。

「ていうかさ――」と僕は線路の上を歩きながら言った。
「何だよ」前を行く彼は、やはり前だけを見つめたまま、声を張り上げて訊き返した。
「名前、何ていうんだよ、お前」

奴は陽気に笑った。名前を訊かれただけで人はこんなに笑えるのかと思うくらいに、奴は笑っていた。
「名前も知らない奴とこんなに話したの、人生初だよ俺」
笑う所なのかよ、そこ。突っ込もうとして、止めた。
「沢崎。沢崎拓也」

さわざきたくや――。クラスメイトが何度かその名前を口にしていたのを、僕は思い出した。悪い噂だった。少なくとも、あらかじめ僕がその名前と顔を一致させることができていたら、今日みたいに話しかけることはなかったと思えるくらいには、悪い噂だった。

「僕は、志野 俊輔」

噂が真実だろうが嘘だろうが、今は別にどうでもよかった。一時間前ならばそう言い切ることはできなかった。でも、今は知っている。沢崎拓也の顔も、笑い方も、彼が抱いている陳腐な夢も。それを知った今では、噂話に価値なんてなかった。僕の言葉通りだ。沢崎拓也が僕にとって何なのか。それを決めるのは――僕の自由だ。

「しのしゅんすけ?」
「ああ」
「よろしくな、志野」
振り向きもせず、沢崎は言った。

僕は考える。例えそれが人生の分岐路に据え置かれた邂逅だったとしても、自分には選択肢などないのかもしれないと。無自覚のままでその出逢いを許容し、疑いもなく示された道を歩んでいく。誰かの振ったサイコロの目の数だけ僕たちは歩かされ、ふと振り返ってみたとき、初めて分岐点を越えていたことに気付かされるのだ。
ひどくさりげなく、そこには何の注釈も示唆もない。だからこそ、その自覚なき選択を自らに納得させるために、人は運命という言葉を使うのだろう。

僕と沢崎拓也との出会いが、偶然だったのか必然だったのかは分からない。ただ、その時に選んだ道の先に日下部沙耶がいたことを考えると、この出会いが僕の運命に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。海を見渡せる無人駅の公園で、沢崎と出会ったその日から、確かに僕の日常は色を変えたのだ。



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