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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 1話-4

僕はその公園を囲う錆びたフェンスを乗り越えて、積み重なったテトラボッドのひとつに座り、ただ目の前の海を、茫洋と眺めることに時間を費やしていた。
それは端から見れば感傷的な行為なのだろう。でも、僕は知っている。こんな場所に意味なんてない。意味なんてないから、誰もこない。そして誰もこないという理由が意味になり、僕はここにいる。

目の前を、ゆっくりと一艘のディンギーヨットが通り過ぎた。小さな人影が、甲板上をコミカルに動いている。その様子を眺めながら、また僕は思った。
感傷的なんかじゃないだろ――全然、と。僕の頭にあるのは、極めて即物的な問題だった。学校をサボり、海を眺めている場合じゃなかった。期末考査はすぐ目の前に控えていたし、出席日数だって危ういかもしれない。実際的に押し迫った危機感と、それでも惰性で学校をサボってしまった現実。その現実を半ば自棄になりながら放り出そうとする自分。センチメンタル? 現実逃避が正解。いや、きっとそんなの、どっちも同じ意味なのだろう。

――ここは世界の最果で、この先に僕の歩く道なんてない。

この場所に足を運ぶ度に、僕は言い様のない逼塞感に襲われた。
17年間の歳月を、揺りかごの中で安寧を貪る嬰児のように育ってきた。間違い探しの絵を何千枚も並べたような差異のない人生。今日は昨日の精巧な模造品で、そこにある違いなんて、意識して見比べてみてどうにか認識できる程度のものだった。もうどれが本物なのかさえ僕には分からなかったし、その判断基準さえも何処かに置き忘れているような気がした。

そこから抜け出したいという思いが、いつも胸の中で行き場を探して暴れていた。茶碗の縁が欠けた程度の自由の損壊。それを埋め合わせるべき欠片を探し求めて、僕はこの場所に足を運ぶのかもしれない。だからこそ、ここは落ち着くのだ。

――ここは世界の最果で、この先に僕の歩く道なんてない。
僕の淡い希望を、この空間はそんな認識で突き放してくれる。

街を目には見えない壁が覆っているとして、その壁に突き当たるのが丁度この場所なのかもしれない。濁った海と、煙突から立ち上る灰色の煙。それがこの街を象徴する全てで、僕はそこに何か諦念じみたものを感じずにはいられなかった。

――見ろよ。先なんて、何処にもないじゃないか。

僕は溜め息をひとつ吐いて、上空を仰いだ。空だけは怖いくらいに青く澄み渡っていた。宇宙の闇を忘れてしまうような空だった。夜になれば思い出すことだが、それでも宇宙の最涯までこの蒼穹が続いているのだと誰かに言われたら、つい信じてしまいそうな、そんな空だった。
柔らかな風が制服のシャツに入り込み、軽い空気に抱かれるような浮遊感を僕は覚えた。それはつま先から少しづつ体が溶けていくような睡魔をもたらし、僕は目を閉じた。瞼の上にも七月の光は感じられる。強く目を閉じているとそれは赤みがかったオレンジ色になり、閉じる力を緩めるとその色は黄色に近づいた。
排水で汚れた薄汚い鉛色の海。それでも潮の香りだけは立派に海そのもので、一度閉ざした瞼を開くのをためらわせた。目を閉じている間くらいは、もう少しマシな海辺にいるつもりでいたかった。

テトラボッドで微かに弾ける波の音。救いを求める海鴎の声。恐竜の遠吠えのような機械音。瞼を透かして届く初夏の日射し。潮風に紛れる煙草の匂い――煙草の匂い?

僕は目を開けて辺りを見回してみた。見渡す限りに人影はなかった。気のせいだと思い込むこともできる程度の匂いだが、そうはしなかった。お気に入りの場所で一人休息を得ている時に、鼻の粘膜を破壊するような煙を垂れ流す奴がいる。煙草を吸わない人間に取ってはスープに浮いたハエくらい気の効かない奴、と思われても仕方がない。

僕が文句を言う筋合いもないが、せめて顔だけは確認しておこうと思い、腰を上げた。真っ昼間にこんな場所にくる物好きがどんな奴なのかも気になった。
身の丈ほどの防波堤をよじ登り、フェンスの隙間から顔を除かせて公園を観察してみる。バリエーションのない自販機と、ペンキの剥げかけたベンチが並ぶだけのその空間に、彼はいた。


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