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【存在】
【エッセイ/詩 その他小説】

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【存在】-1

「ある日、ふと空を見上げた。
青く透き通った空。
そこに流れる真っ白な雲。
日の光を浴び、無心になる。」
皆には、そういう経験があるのだろうか。
私にはある。
あるときは、青く晴れた空を見上げ、
またあるときは、星の瞬く夜空を…
見ることによって、何かを得るわけでもない、
また、得ようとも思わない。
ただ、なんとなく眺めている。
「それの何処が楽しい?」
そう思われても仕方がない。
なぜなら私自身も、そう思うときがあるから。
でもなぜか見つめてしまう。
悲しい時も、苦しい時も、切ない時も
もちろん、楽しい時や、うれしい時も…
人生の中で、何かに無心になる時が誰にもあると思う。
自分の世界に閉じこめられた時…なんともいえない感覚である。
しかし、ここで一つ疑問がある。はたしてこの、「自分の世界に
閉じこめられた」と言う瞬間を、正確に認識できる人はいるの
だろうか?
これはただの例えにすぎないが、人が生まれてから死ぬまでの間
いわゆる一生の間に幾度となくこのような単純な疑問や壁にぶち
当たる事があるだろう、果たしてこれらを打ち砕く答えを、
どれだけの人が、どれだけはじき出すのだろう。中にはそれすら
気付かない人もいるのに…。
 人は何かに行き詰まった時、すぐに答えを出そうとする。確かに
その考え方は少なからず間違ってはいないと思う。しかし、問題は
その先にある。それは、答えの出し方である。人はすぐに色々な事
を考え、様々な情報を得て、それらを自分の中で思考錯誤し、自分
の中で理解・納得したものを答えと呼んではいないだろうか?これも
確かに答えの出し方のひとつではあるが、僕が思うに、答えと言う
のは、考えたから出るものではないのでは…。逆に色々考えた方が
僕は危険であり怖いと思う。
 だから僕は最初にも話した通り、
『「ある日、ふと空を見上げた。
青く透き通った空。
そこに流れる真っ白な雲。
日の光を浴び、無心になる。」』
ことがあり、
『「それの何処が楽しい?」
そう思われても仕方がない。
なぜなら私自身も、そう思うときがあるから。』
と思うのかもしれない。
 人はそれぞれ違う生き方をして、違う考えをもっている。
誰一人として同じ生き方で、同じ考えを持つ人はいないと思
う。そんな人間(ひと)が存在する地球で、自分はいかにどう
存在するのかをこれからも考え続けていかなければならない。
「自分」という存在を見失わないために…。


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