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【イムラヴァ】
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【イムラヴァ:二部】三章:悪魔と狐-14

 それからしばらく後、アラスデアは、いびきをかいて眠るレナードをよそに、パイプ草と酒の匂いが染みついた木の床に寝そべり、階下の酒場でアランが歌う声を聞いていた。

「春が来る トネリコの芽がふくらんだ

  顔赤らめるナナカマド コックロビンも目を見張る――」

 彼は、初めてアランの声を聞いた時、喜びに体が震えたのをよく覚えていた。忘れるはずはない。アランの声を聞く度にその喜びを感じるのだから。なめらかな低い声。王の血と同じく、アランは母から、鶫の子らの血を継いでいる。花の蜜に誘われる蝶のように、彼女の言葉は周りにいる者の耳を捉え、その響きで甘く震えさせることが出来る。もっとも、本人はそうと気づいていないけれど。男達の陽気ながなり声に混じって、アラスデアの主の声はまっすぐ彼の元に届いた。どんなに下品な歌を歌っていても、その魅力に変わりはない。酒場の盛り上がりは増していく。歌の中で、樹液に濡れたトネリコの芽(形が男根に似ている)がますます立派になってゆき、雄コマドリ(コックロビン・コックは男根のこと)が負けを認めて飛び去った。ナナカマドはしきりに色目を使うが、トネリコの芽が紫の雌花を咲かせて、歌は終わった。

 その後は、冗談と猥談と世間話が混ざったざわめきが酒場を埋め尽くす。もうしばらくすると、男達の声が不意に小さくなった。誰かが、失った恋人と彼女の愛についての悲しい話を始めた。皆がそれに、じっと耳を傾けているのだ。語り部がアランに何か頼んだ。きっと、何か歌ってほしい歌の希望を出したのだろう。すぐにアランの歌声が聞こえてきた。

「輝く朝 橋の上で 私は出会った、山査子の乙女と

 川岸の葦は頭を垂れ せせらぎは賛歌を奏で

 おお、美しのメアリ 私の女王

 君は許してくれるだろうか その髪を梳くことを?

 もし私が 5月の薫風に姿を変えたら――」

 歌が終わってしばらくした後、小銭の音をさせながらアランが部屋に戻ってきても、アラスデアは驚かなかった。満面の笑みを浮かべた彼女は、上首尾に終わったささやかな興行に満足しきって、下から持ってきたエールを呷った。深いため息をつくと、眠り込んだレナードにむかって顔をしかめた。

「いつから寝てた?」

「うーん。アランが下に降りて、最初の曲を歌う前」アラスデアはあっさりと告げ口した。アランは首を振って「いい気なもんだ」とつぶやいた。それからなにやら考え込むような表情を浮かべる内に、そこにあった満足感と達成感がふっと消えた。

「どうしたの?」アラスデアが聞いた。

「気になる話を聞いたんだ。この街に来てる見世物小屋の話」アランは、壁に掛かった外套にちらりと目をやった。無意識のうちに、出かけることを考えているのだ。「何でも、『本物の化け物』を見せてるらしい」

「化け物って、西ノ海にいる怪物?」アラスデアが驚いて立ち上がった。大きな猫を思わせるなめらかな動きには何の物音も立たなかったが、アランは用心深く階下の気配に耳を澄ませた。アラスデアは即座に、小さな声で謝った「ごめん」

「いや、大丈夫だ。とにかく、私はそうじゃないかと思ってる。今から行って見てくるよ」

「一人で大丈夫なの?」アラスデアは、たった今寝返りを打ったレナードを指した。「一緒に行けば?」

「レナードはあまり乗り気じゃないみたいだし」アランは言うなり外套をひっつかんだ。「起きたら、なんか適当に言い繕っておいて」 

 アラスデアが何か言う前に、アランは階段を下り始めていた。言い繕うと言っても、アラスデアの言葉はアランにしか分からないのに、と言おうと思ったのだが。アラスデアは、夢の中で何かを食べているらしいレナードの顔をのぞき込んで、再び床に寝そべった。まあ、当分目覚めることはないだろう。


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