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蝶のゆめ
【純文学 その他小説】

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蝶のゆめ-1

 あるところに、蝶であることを忘れてしまった羽があった。
 その羽は二枚の花びらとして、長いあいだ、土と繋がっていた。

 羽は美しかったが、飛ぶことをほとんど覚えていなかった。そしてもう、そのことを疑問にさえ感じなくなって久しく、しだいに花の香りを放つことさえ考えはじめていた。しかし時折、ふと風がそよぐようなときには、なにか浮くような感覚にくすぐられて、羽ばたきを知らないままに、予感めいた謎と憧れとに包まれて、いったいなぜ花びらなのかしらと思うこともあった。

 その羽の上に、ある日、べつな蝶がとまった。
 蝶はその羽の美しさが気にいったが、すっかり花びらだと思っていた。しかし何度かそこを訪れるうち、その花びらの中に、何か、不思議なためらいのようなものを感じるようになった。香気のなかに、自然ではないものを、蝶はかすかに嗅ぐようになった。そして蝶は、自分がふと羽を動かすようなとき、そうして生まれた風の中に、花びらが憧れながら揺れるのをみた。するとそのときだけは、花びらから間違ったものの気配が消えるのを、蝶は感じた。蝶はやがて、その瞬間ごとに花びらを愛しはじめていた。それは美しいだけではなく、静かなたたずまいの中に、極度に抑制された動きを感じさせる花だった。蝶はその抑制を解いてやりたかった。

 それである日、蝶は精一杯の羽ばたきをした。すべてを風に変えて、花びらを吹き飛ばそうとした。すると、花びらはいつもの浮き上がる感じ、そのもっと強い感じに激しく誘惑された。そして、ついに二枚の羽としてちぎれた。蝶はそれを、自らの羽で迎えて触れた。

 花びらは戸惑いながら、しかし目眩のような喜びにも打たれて、一度は自ら飛び、蝶を迎えて触れてみさえした。それは蝶を喜ばせ、すっかり夢中の戯れのなかに惹きこんでしまった。花びらもまた、それに幸せを感じていた。

 でもそれからしばらくすると、花びらは、もう長いこと花びらであったため、急に羽を動かしはじめることにもまた、疑問を感じるようになった。

 宿命的に蝶であるか、宿命的に花びらでなければならないとしたら、いったいどうなのかしら・・・花びらは悩んで、結局、やはり花びらでいることに決めた。そしてもう風が吹くことのない、奥まった場所のなかに帰っていった。蝶はそれを知って深い悲しみに暮れ、いっそまた吹き飛ばしてやろうかしらと、さまよいながら飛んだ。しかし蝶にはもう、自分が飛んでいる場所のことが分からなかった。

 だから蝶は、花びらのゆめをみる。これから先、どの花のそばを通るときも、あの時あんなにも自由であった、美しい羽のゆめをみる。

 いつかあの羽が、本当に花となったころ、今度は本当に花と思って、訪ねて行けるゆめをみる。そしてまた、そしてまた、あの花が再び羽になり、再びあのときのように自分と戯れ、触れ合うことのできるゆめをみる……。

 そんな二つの幻想に裂かれて、さまよいながら、蝶は今日という日を過ごしているのである。


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