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満月
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満月-1

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月明かりは、哀しくて、濃厚で、そして優しい明かりだ、と私は思う。太陽みたいにギラギラ光るのでなくって、例えば彼の輪郭だけが見えるぐらいの曖昧な光量は、絶妙な力加減で私達を照らす。私は感謝していた。彼の顔、全部までが見えないその月の光に。その事を彼に言うと、彼はふっ、と笑って、あの月を見上げて言った。ノアの方舟みたいな欠けた月を。見上げた顔が月明かりに照らされて、彼特有の長い睫毛が素敵な影を作った。
「ねぇ、なんだか、月の光って良いよね。今あきら君の睫毛の影がとっても素敵だもの。太陽の光じゃあこうはいかない」
ぱちりと瞬きをする度に影は大きくなったり、小さくなったりする。明かりは全てを写すのではなくって、細部だけを隠して彼を認識させる。その素朴さがいじらしくって愛しい。
「そうだね、月明かりは素敵だね。君の顔ははっきりと見えないけれど、君が笑っているのは解る。不思議だ。強くない光の下にいると、とても親密な気持ちになる」
私はそれを聞いて、ほとんど泣き出しそうになりながら、それでも、そっと、彼の言葉が続くのを待った。
「きっと月自身が一人では輝けないからだ。太陽の光を受けて、静かに自己主張するその姿が、とてもいじらしいからだ」
そう言って、彼は私を見た。
顔は見えないのに、わかった。
「君は月なんだね。きっと。だから僕は、君に強く惹かれてしまう」
「――それは、私が一人では輝けないってこと?」
「そうだ、とも言えるし、違うとも言える」
でも関係ないじゃないか、と彼はそう言って、最後に一言、こう付け足した。

「形は変わっても、本質は変わらず。決して自分を出しすぎることもなく、卑下するでもない。それは君の大いなる美徳であり君を形成する重要な成分だ。その気質は、例えば僕が月を思うのと同じくらい、好ましいってことだよ」
暗くって、彼の表情は見えなかったけれど。
彼が泣いているぐらいは、私にだって予想できた。





暑さはどこに去っていくのだろう、と私は夏が終わる度にそう思う。あの茹だる様な熱射も、涼しくなる度に懐かしく寂しい。朝夕が冷えるようになって、人はあの物寒い冬を予感する。夏で解放した心の虚無感からくる寂しい気持ちを寒さの性にして、誰彼かまわず恋人を願ったりする。私は秋の入口が好きだった。夏の虚無感も薄く、冬の寂しさも小さいから。

結局なにも結末は変わることは無く、彼はかねてからの予言通りに秋の始まりと共にさっていった。私はそれを止めることも出来たのにしなかった。或いはあの日あの時の月が満月で、彼の笑う顔が全て見えていたら、結果は変わっていたのかも知れない。私は彼の笑顔に弱いから。
けれど彼が彼自身の夢の為に歩きだす事を、最終的に私が止めなかったこの事実を、私は後悔していなかった。私は私なりに考え、悩み、涙し、嗚咽を飲み込み、身体の異変に耐え、確固たる力に抗った上でこうなってしまったのだから、何をどう後悔するんだろう。月の性にするにしても幼稚すぎる。何かを誰かの性にするなんて、卑怯者のすることだ。そうやって傷付くの自分一人なのに。





私はこれからもずっと思い出すことになるのだろう。彼と話したあの夜の事を。冬が、その寂しさの威力を増す度に。夜の訪れが早まる度に。

――不安定な月が昇る度に。

秋の入口が好きだ。何がどう変わっても、秋の入口好きだ。月が綺麗だし、夜は寒い。寒いし、寂しい。

上を向いて歩こう、という歌を唄っていたのは誰だっけ。本当に良い歌だと思う。
「涙がこぼれないよう……か。」
私の独り言は、彼が親密と言った月明かりに吸い込まれて消えた。
満月が来ればいい、と私は思った。
私の涙一粒一粒を、鮮明に照らしてくれるだろうから。


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