Quick Jam track.2-1
市村渚 九月二日 八時五十分
この気持ちを、今流行りの言葉で表すなら、遅 刻 し た ッ ！
昨日の塾の復習と予習に一晩かけた結果がこれだ。
寝坊はするわ、電車には乗り遅れるわ、通学路に月野沢代の制服が一つも見かけないわ、エトセトラ。
散々だ。
ソニーのウォークマンがラテン調のサマーソングを再生していても、暑くなる。
なんとか校門を抜けても、ホームルーム開始時間に間に合うかの瀬戸際。
残暑厳しいこの時期を走るなど、汗臭くなる。
ぬぐって、デオドランドのスプレーを振りかけるのはまだ早い。
昇降口で上履きに履き替えてから、職員室の遅刻届にライトアンドサインの作業が待っている。
遅刻届がないと授業が受けられないので、必ず通らなければならない道だ。
遅刻理由は乗り過ごしでいいやと、職員室のドアを開けた。
「失礼します」
数名の教諭がそれぞれのデスクで仕事しているが、渚はそれどころではない。
だがテレビはつけっぱなしで、昨日から報じられている東都学院大学学生の薬物所持事件の続報が伝えられている。
すぐ横の遅刻届に名前、クラス、担任名、遅刻理由を書き上げ、ドアに近寄った人物にさっと紙を渡した。
「サイ……ん？」
「………すみません」
渚は目が点になった。
その人物──スーツをまとった男──は渚の知らない大人だった。
教科書販売とかの業者さんかと早とちりしたのが恥ずかしい。
「えーと…」
彼は首をかしげて、苦笑いを浮かべた。
「ああ、最上先生。サインを書いてやってください」
丁度席を立った国語科の服部先生は助け船を出す。
「ここですか？」
遅刻届のサイン欄に最上と書き、周りを丸でぐるっと囲んだ。
「うん、上出来。そして、市村さんおはよう」
「おはようございま、ず！」
服部先生からぺんっとデコピンをいただいた渚は最上という人から紙を返してもらう。
「最上先生はこれから、行くんでしたっけ？」
「はい、そうです」
「ついでだから、市村さんといってらっしゃいよー」
服部先生が最上先生の背を押して、事務室へ歩いていく。
……昭和のかほりがするメロディーを鼻歌に乗せてだ。
「……三年Ｂ組なのかー」
「はい」
「じゃ、行こうか」
その男、最上はフランクに海外式の手付きで手招いた。
荷物を持ち、渚は最上の後を追う。
階段に差し掛かって、最上が口を開く。
「俺ね、教育実習生なんだがな」
だからなんですか。
渚にとってはどうでもいいようなネタだった。
この中年に近そうな男性教師は胡散臭さがたっぷりで、幼女が好きそうだ。
渚の感だけれども。
「どうも」
「なかなか実習先が見つからなくてさ、まいったね」
「へぇ…」
「あの……どこの大学生なんですか？」
敢えて大学生を強調したが、彼にはどこの質問を返す。
ふと尋ねた渚に最上はああと明るく答えた。
「汐咲大」
「嘘！？」
さらっとした返答に渚は目を丸くした。
渚の志望校である汐咲大学国際学科の実習生が来るとはタイムリーだ。
彼が入試の時に使っていた赤本を借りられたら借りよう。
ロクでもないようで、計算高い考えが浮かび、渚はガッツポーズを心の中で握った。