やわらかい光の中で-13
◇
厚木インターを降りると、道は混雑していた。
「運転大丈夫？」
裕美は社交辞令のように聞いてはみたが、運転を代わる気など全くなかった。
「大丈夫だけど…混んでるね。道。」
「神奈川の方はいつも混んでるイメージが強いよね。夏なんかもっとじゃない？」
「確かにいつも混んでるかも。」
慎治は煙草を咥え、車の窓を開けながら言った。
そして、どこか休めそうな店があったら休憩しないかと提案してきた。
その提案に裕美は軽く頷いたが、これで日が沈むまで少し時間がかせげると、安堵に似た気持ちを覚えた。
街道をノロノロと走っていると、程なくして、小さな昔風の喫茶店が目に留まった。
３台分の小さな駐車スペースもあったので、そこで休憩することにした。
心地よい音量でクラシックのレコードがかかった店内は、窓は大きいが薄暗く、客は裕美たちの他に年配の夫婦らしき男女が３組しかいなかった。
駐車場には１台も車が停まっていなかったので、おそらく、地元の常連なのだろうと裕美は勝手な想像を膨らませた。
彼女たちは、街道沿いの窓側の席についた。
程なくして、初老の店主らしき男性が、水と革張りのメニューを運んできた。
メニューは、丁寧な手書き文字で１つ１つ綺麗に書かれていたが、開店当初から書き換えられていないだろうことが容易に想像できた。
コーヒー専門店のようで、豆の名前がズラッと書き連ねてあり、最後には「お好みのブレンドをお伺いいたします。お気軽にお声をおかけください」と書き添えてあった。
コーヒーは好きだが、別段詳しいわけでも拘りがあるわけでもない裕美は、とりあえず「本日のブレンドコーヒー」を注文することにした。
一方、慎治は水出しコーヒーを注文していた。
「コーヒー、詳しいの？」
先ほどの初老の男性にオーダーを済ませ、男性の後姿を見送りながら裕美が聞くと、慎治は、一瞬驚いたような目をしてからゆっくり答えた。
「いや…全く…。豆によって味が違うことくらいは知ってるけど、どの豆がどんな味とかは知らない。
…でも水出しコーヒーが美味しいって前に誰かに聞いたことがあって、あったから頼んでみた。」
「なるほどね。」
彼は窓の外の連なる車を見ていた。そして彼女は、その慎治を見ながら微笑んでいた。
静まりかえった店内につられて、２人の交わす言葉も少なくなったが、彼女は逆にそれを心地よく感じていた。
会話の合間に聞こえるクラシックが、いつもよりスローテンポで話すことを促しているかのように、２人はゆったりと話した。
そして裕美は、こうして彼のことをまじまじと見るのは、初めてだったことに気が付いた。
辻元を介して初めて会った時、喋るリズムがゆっくりで良いなと感じたことを思い出した。
最初はあまり喋らない人なのかと思っていたが、初めて一緒に海に行った時、よく喋る人だと知った。
たった４回しか会ったことがないのに、この人の前では自分がとてもリラックスしていることに気が付いた。
その証拠に、もし会話が途切れたとしても、彼女はそれをあまり気にしていない。
窓からの光を受けて、浅黒く光る慎治の頬を見ながら、優しい印象を与える顔つきだなと思った。
コーヒーに伸ばした彼の手が外光を受けて、一瞬、色鮮やかに目に映った。
その指先は、海に入った日特有の、日焼けした乾いた色をしていた。
彼女はそのまま視線を窓の外に移し、ダラダラと動く車を眺めながら明日晴れたら布団を干そうなどと、全く関係のない事を考えていた。