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Delete <彼の左腕は堕胎によって失われる>
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目を開けたとき、僕はもうその部屋に居た。

見覚えの無い部屋だ。照明が明るいのか、それとも壁中に発光バクテリアが隙間無く生息しているのか、部屋全体が異常なほど明るい。夜空に瞬く恒星みたいに部屋中が自ら光を放っているように見える。それに相成って、部屋のあらゆる家具は全てが白色で構成されていた。壁、天井、床、テーブル。何もかもが。辺りは静かで、物音は何も聞こえない。耳をすませてみるが、不気味なほど静かだ。この部屋自体が忘れ去られた宇宙の片隅に浮かべられているのではないかと思うほどに。

僕は柔らかなソファーに沈み込むようにして座っている。アルファックスの上質なソファー。一体自分がどのような経緯があってここへやって来たのかを考えてみるが全く思い出せない。ポテトチップスを食べながら家でごろごろと名前の知らない深夜アニメを見ていたような気もしなくもないが、定かではない。ジブリのDVDだったような気もする。ナウシカ辺り。まあいい。ともかく、ここは俺の住んでいる古びたアパートの一室じゃないことだけは確かだ。

部屋の中の色彩といえば、天井からぶら下がっているロープの赤と(そのロープの先端は円状になっていて、今すぐにでも首を吊ることが出来そうだ)、それを天井に固定する金色の金具。それから、空っぽの白い本箱の上に置かれた六十センチ幅の水槽の中を泳ぐエンゼルフィッシュ。それだけだった。水槽には水温計がついていて、温度は二十六度をキープしている。部屋に窓はなく、ドアが一つだけあるだけ。壁と同じ白いドアで、もしそこにドアノブがついていなかったら、それがドアであるとは気づかなかったかもしれない。それはあくまで壁の一部なのだろう、と認識されたかもしれない。僕はドアノブをまわしてみたい衝動に駆られる。それが壁ではなく、本当にドアなのだということを証明したくなる。と、ふいに「こんにちは」と背中の方から声がして、僕は後ろを振り返る。ずっとソファーに座っていたので気づかなかったが、ソファーの後ろ側にはカウンターがあり、その奥にキッチンがあった。そこに背の高い男が笑顔を浮かべて立っていた。上質なカシミアのシャツを着ており、それをスリムなジーンズにインしている。ベルトはドルチェ&ガッパーナ。長い髪を後ろに束ねており、口の周りにはよく手入れされた髭が生えている。二十代後半か、三十代前半といったところか。

「こんにちは」と僕は返した。いきなりあんた誰だ、とは言わなかった。立ち上がろうと思ったが、男がいいよ、という風に両手をひらひらと振ったので、僕はソファーに座ったまま軽く会釈をする。「ここは、あなたの部屋ですか?」と僕は訪ねる。

「そうです」と、男は僕のほうへ歩み寄りながら言う。「ようこそ」

「僕は一体どうしてこの部屋にいるのでしょう? 一体自分がどうやってここへやって来たのか全く覚えていないのです」と、先ほどまで最大の疑問であった事を、ようやく僕は口に出した。

今までに、果たして僕はこの男に会ったことがあるのだろうかと考えてみるが、僕の思い出せる記憶の中に、彼は居なかった。ひょっとしたら僕が忘れているだけなのだろうか。

「あなたが望んでここへやってきたのです」と男は言う。

「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」

「いいえ。これが初対面です」

「僕はどうして初対面のあなたの部屋へ来ることを望んだのでしょうか?」と、僕が口に出したその言葉は男にではなく僕自身に向けられている。僕はこの部屋の存在も、この男の存在も文字通り何も一つ知らないのだ。自分が全く知らないことを望むなどいうことがあるだろうか。ノー。そんな事があるはずがない。


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