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「鬼と姫君」
【ファンタジー 恋愛小説】

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「鬼と姫君」2章@-2

もうずっと昔。
思い出は鮮明だが、どことなく浮世離れしていて、今では夢だったのでは思うこともあるほどだ。

鬼灯丸―…。

そっと、その面影を追いかけて歌を詠む。
あの、月のように清らかで冴え冴えとした銀髪は、今なお健在だろうか。
彼人を思い出すとき、もう随分と時は過ぎていというのに姫の胸は痛み、切なさが込み上げる。

他愛もない歌を記した紙を持つと、そっと庭に降り立った。
屋敷の奥の、通りからも家人からも見咎められない場所に、ひっそりと橘の木がたっている。
それほど大きくもない、この慎ましやかな木の枝に文をくくりつけた。
闇が濃くなり、空気に不穏なものを孕ませ始めている。
もう何度目になるだろうか。
不思議と文をくくりつけると、翌朝にはなくなっている。
通りからは木の姿さえ見えず、家人も存在すら知らないはずだ。
日当たりのせいかこの橘は実をつけない。
姫は、鬼灯丸が読んでくれているような気がしてならなかった。
あるいは、そう思いたかっただけかもしれないが―…。


翌朝、文はやはり綺麗に消えていた。
暖かいものが胸に広がり、姫はにっこりした。
思わず橘の木を撫でていると、表の方から童が呼んでいる。
声のする方へ向かうと、年の頃は四つか五つくらいの幼い男の子が、眼を輝かせていた。
「珍しい虫をみつけました」
蒸気した頬が愛らしい。
姫が微笑んで、童が開いた手のひらを覗き込むと、なるほど、奇妙な姿をしている虫がいる。
手足が異様に長く、一見蜘蛛のようだが、銅は毛虫のようで甚だ珍しい。
二人でためすがめす観察する。
珍しさのあまり裏返したりつついたりしたものだから、虫は迷惑そうだ。
一瞬の隙をみて、ぴょんと童の小さな手のひらから逃れ、そそくさと去っていった。
あっという間の出来事に、呆気にとられた二人は次の瞬間、顔を見合せてくすくす笑いだした。
やがて笑い声は大きくなり、春の青空に吸い込まれていった。

日の光が暖かくあたりを包み始めた午後である。


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