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 黄昏刻。
 闇が次第に広がる中、鬼御前の櫻は魔を宿していくように見えた。
 沼の反対側に三脚を設置し、ファインダーに櫻を捉えるとリモコンを手にし、零は手頃な石に腰を下ろした。
 櫻の下には鬼国の媛が眠ると言うがおそらく鬼とは先住民を言ったのだろう。
 沼に祀られている神は大和以前の原初の神かも知れない。
 亡滅の民に思いを馳せ、くしゃみをする零。
 春とは言え、日が暮れるとまだまだ寒い。
「花冷えってやつかな?」
 呟く零。
 しかし、その言葉に応じるかのように少女が姿を現す。
「こんなこともあろうかと、鈴音ちゃんが温かい飲み物と毛布を用意してきました」
 そう言って毛布を差し出す鈴音。
「あ、ありがとう……」
 躊躇いがちに毛布を受け取る零。
 昼間と違いダウンを羽織り、温かそうな格好をした鈴音は、手にした水筒を開け、熱いコーヒーを入れた。
 コーヒーを受け取り、慎重に口をつける零。
 冷えた体に温かいコーヒーが染み渡る。
「零さん、ドンやな。昼間、ウチの住所、聞き忘れたやろ?」
 そう言って、小さな紙片を差し出す鈴音。
 紙には鈴音の住所が書かれていた。
「後から気が付いたんだけどね」
 苦笑いする零。
「それにしても零さん、よその人が鬼御前の櫻なんて、よお知っとったね。地元の子でも知らん子おるのに」
 鈴音は零の横に腰を下ろすと、首を傾げた。
「叔父が詳しくてね。鈴音ちゃんはこの櫻のことは誰から?」
「ウチはお爺ちゃんからかな?小さい頃からこの辺、散歩してたから。鬼御前の話もよお聞かされてたわ」
「鬼国のお姫様の話だね」
「うん、あの櫻の下には鬼の国のお姫様が眠ってんねんて。それで、ここいらの人間は鬼の血が流れてるんやって自慢げに言うてた」
「それなら、鈴音ちゃんも鬼の血が流れてるかも知れないね」
 鈴音は零の言葉に笑顔を見せた。
「ウチももう子供やないねんから、そんなん信じてへんよ」
 そう言いながらも嬉しそうな鈴音に、零は鬼の血は確かに受け継がれているのだろうと感じた。
 コーヒーを飲みながら四方山話に花を咲かせる零と鈴音。
 叔父から聞かされ、自分でも色々と調べた零の民話伝承は鈴音を喜ばせた。
 
 しばしの談笑を楽しむと、零は鈴音をバイクで送った。
 沼に戻る前に再びコンビニに寄り、使い捨てカイロをポケットに詰め込む。
 沼に戻ると、街の灯に慣れた眼には全くの闇の中であったが、不思議と怖れはなかった。
 この沼は聖地なのだから。
 安心すると睡魔が襲ってくる。
 零は欠伸をすると寝袋を広げた。
 しかし、寝袋に潜り込もうとした時、鬼御前の櫻の下に白い影が揺らめいた。
 鬼御前の霊が現れたのだろうか?
 しばらく櫻の木の下を見つめたが特に何も見えなかった。
 舞い落ちる花弁を見間違ったのか。
 零は小さく微笑むと改めて寝袋の中に潜り込んだ。


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