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【純愛 恋愛小説】

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どんなに辛い事や哀しい事もずいぶんと時間が立ってから思い返すと、後悔の念はどこかに消えて、その代わりに薄れてしまった記憶に親密な気持ちを抱いてしまうのは僕だけなのだろうか。あの頃は死ぬ程恥ずかしかった思い出や、ほろ苦い思いをした事なども、今では思い出す度に心地よく、また切ない。人はこういう感情を懐かしいと表現するのだろう。
僕はそれがたまらなく哀しいと思う。シオリが死んでからもう何十回と、いや何百回と彼女の日々について思いを返したけれど、あの頃のあの感情は、もう二度と体験することは叶わない失ってしまったものなのだと、彼女が帰らぬ人となった夜にさんざん責めた自分自身への責念も蘇りはしないのだから。今でも彼女の命が消えてしまった事実を悲しいとは思うが、若かった自分程に、燃える炎の様に感情を働かすことが出来ないでいる。記録や、確固たる数字や、もしくは映像や写真などの媒体を使わない限り、僕はあの頃を表現することさえ出来ない。懐かしいという表現は、とても哀しい。

それでも春は訪れ、桜は咲き誇り、あの頃の様に花びらが舞う。僕はしたい訳でもなく記憶を呼び起こし、感傷に浸りながら昔と変わってしまっは自身の感情の違いに辟易するのだった。
僕はどうせ今日一日は記憶に引きずられて過ごすのならと、本棚から長い時間置きっぱなしでボロボロになった「ノルウェイの森」を引っ張りだした。春の陽射し暖かい公園のページで、僕は久しぶりに読む村上春樹の世界に浸る。ずぶずぶと水に浸かって行く様な錯覚を受けるこの感覚は、読書以外では味わえない絶対の感覚だった。文字だけが自分を支配し、全ての五感を世界と遮断しようとする。僕は一人になり、過去の記憶など意識の外に消し去る。
あるページを捲った拍子に何かが落ちるのを見た。はらはらと舞い落ちるそれは、間違いなく桜の花びらだった。
それを認識した瞬間、僕は文字通り凄まじい衝撃を受けた。文章の世界に入りきっていた僕の感覚は、急速にあの時の記憶へと移り変わって行く。

あの時の、花びら。

フラッシュバックの様に脳裏に写る記憶の中、僕はシオリが言った言葉を思い出していた。
「本の栞ってあるでしょ? ほら、読んだページに挟むやつ。私の名前、その栞から来ているの。」
あぁそうだった。僕はその事を思い出して殆んど泣き出しそうになっいた。その花びらが挟まっていたページには、確かにあの時流した涙の後が残っていたのだから。
「忘れたくないから栞を使う。そういう使い方なら、この名前も悪くないなぁって、そう思うの。」
この花びらは、シオリだ。そう思って僕は泣いた。激情に近い胸の痛みが僕を襲い、唸らせた。僕は真新しい感情を感じていた。でもこれはあの頃とは全く違う種類の感情だった。脳から骨髄を通り、神経を経て、僕の全身をぶるぶると震わせる何かだった。僕は歯を喰い縛り、眼をギュッと閉じてこの激情が治まるのをじっと待った。激情を治める為の変革が起こるのを、じっとじっと、ただ待ち続けた。

空には甘い匂いの花びらが舞い散り、春の訪れを告げていた。そんな中、僕は真新しい感傷に身を委ねながら、ただシオリの事だけを考えていた。




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