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 窓の外は空も大地も混沌として境も無く、鉛色の雲は錆色の荒野を渦巻いている。
 生身で外に出れば酸性の大気が粘膜を焦がし、死に至るだろう。
 この地獄で生きていけるのは、汚染除去の為に開発された環境バクテリアだけだ。
 そしてそのバクテリアでさえ人間にとっては脅威になっている。
 本来は汚染除去の為だけに開発された種々のバクテリアが、過酷な環境により変異種となり、無害とは言えなくなっているのだ。
 脆弱な人間は外気を遮断した小さな施設の中で気息奄々と暮らし、気の遠くなるような惑星再生の時を待っていた。
 その施設の一つでは工場で生産された少年少女達が暮らしている。
 遺伝子操作で作られた彼等は皆、調和の取れた容姿を与えられていて、外因的な負担を取り除かれた環境で暮らす事で誰しもがまるで天使のように美しく、愛らしかった。
 その中の一人、栗色の巻き毛を持つ少年シカミは同じ施設の少女ハヤチの隣りで窓の外を眺めていた。
 いや、むしろ眺めているふりをしていると言った方が正しい。
 色の無い荒涼とした景色を見たところで何が面白いのか分からない。
 シカミは時折ハヤチの横顔を盗み見し、わざとらしく咳払いをしてみせるが、少女は一心に外を眺めている。
 少女はこの鉛色の世界を見て何が面白いのだろう。
 シカミが物心ついた時から世界は既に色を失っていた。
 データベースや立体投影施設(ホログラムデッキ)で彼等が生まれる何百年も前の世界は知っている。
 青い空に白い雲。
 色とりどりの花や鳥や虫、草木や動物。
 しかし、シカミにとってそれらは全ておとぎ話で、窓の外に広がる陰鬱な世界こそが現実なのだ。
 だからと言ってこの世界が美しいと思うわけではなく、ハヤチが一心に外を眺めていることは余計に疑問を覚える。
 シカミは一度ならず何を見ているのか尋ねたことがある。
 するとハヤチはいつも同じ答えを返してくる。
「風を見ているの」
 風は大気の流れであって、目に見えるものじゃないとシカミは首を傾げるが、ハヤチがそれに取り合うことはなかった。
 ハヤチが言うには世界は病んでおり、風は数少ない、惑星の生きている証しとなるものなのだそうだ。
 人は自分の感情を無生物に投影して自己中心的で不条理な同情を寄せることが多い。
 ハヤチはロマンティックなのだろう。
 しかし、シカミにはそれだけでは片づけられないある懸念があった。
 施設の生活は管理コンピューター・ミロクによって不自由の無いものとなっている。
 しかし、何の抑圧も刺激も無い生活は人間の心を蝕んでいく。
 清潔なだけの白いタイルで覆われた中で人は平静を保ち続ける事は難しい。
 精神の崩壊。
 コンピューターに心の病は分からない。
 心を別の場所に置く人間は様々な事故を起こし、処分されてきた。
 シカミが知っているだけでもかなり陰惨な事件がある。
 そしていずれも当事者が排除されて終わっている。
 閉塞感が不安を呼び、不安が負荷を助長する。
 思考がいつまでも堂々巡りを繰り返し、シカミは溜め息を吐いた。
 ミロクの名前の元となった弥勒菩薩は五十六億七千万年後に衆上を救済してくれるという。
 シカミ達が救われる日は来るのだろうか。
「いつか、自分の肌で風を感じてみたい」
 ハヤチはある時、汚染除去プールに浸かりながらそんな言葉を口にした。
 全ての環境再生プログラムが完了すれば、それも叶うだろうが、今の段階では自殺行為だ。
 シカミがいつかはできるだろうと愛想笑いすると、ハヤチもそれに応じて力無く笑った。


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