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あの夏
【初恋 恋愛小説】

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始まりと、終わりの日(あの夏4)-4

「本当に、お礼ってこれだけでいいの?もう、頼みたいものない?なんでも頼んで、本当に」

彼女のその言葉に不意をつかれ、僕はまた、無意味にどぎまぎしてしまう。
何事にも動じないのが僕、だったはずなのに。
らしくないにもほどがある

「あ、いえ。充分です。もともと、大したことしたわけじゃないですから」

「そんなことない。すごく助かったの。ありがとう」

今日二回目の笑顔で、彼女が言う。まったく、嘘がうまいんだか下手なんだか。
財布をなくしたことすら気づいてなかった人が、助かったもなにもないだろうに。
そんな彼女になかば呆れてるのに、胸の中には、妙に暖かな固まりが育ちかけてる。
彼女が伝票に手をのばすのを見ながら、僕は思う。
もしかしたら、これが、愛しいって感情?

「じゃあ、わたしはそろそろ行くけど、ゆっくりしていってね。本当にありがとう」

立ち上がった彼女に、思わず声をかけた。
上ずってしまった声を、もう恥ずかしいとは思わない

「あ、あの、名前、なんていうんですか?」

僕のせりふに、自己紹介もしてなかったのね、と彼女は笑う。
ちっとも動じてなんかいない。

「スズネ。相原スズネ」

「…スズネ?」

「そう。鈴っていう漢字に音って書いて、鈴音。変わってるでしょう?」

確かに変わってる。彼女と同じくらい、変わってる。
だけど、凛として、限りなく美しい個性。
美しい?
そこまで考えて、僕は照れる。
今まで真剣に、そんなことを思ったことがあったっけ

じゃあね、と言って立ち去っていく彼女の背中を見ながら、僕の胸は泣きたいくらいに痛かった。
その意味は、本当はもう、わかってる。
本当はずっと、わかってた

好きだったんだ。彼女のことが。
この夏、僕はずっと、彼女に恋してた。
気づかないふりを続けてただけなんだ。

彼女のせりふを思い出す。

『一緒に夏をする人。もっと近い人。夏の間は大切な人。…夏は毎年あったのに』

僕が、割り込もう、なんて思う余地すらない。
「夏」という言葉に隠された、彼女の気持ちはきっと深い。
くやしいけど、僕には分かる。
この夏中、似合わないアイスを毎日買う彼女を、嫌というほど見てきたんだ。
僕の恋は、叶う見込みはないだろう。

ああ、情けないな。
好きだと認めた始まりの日には、終わっていた恋なんて。

最後に一口紅茶を飲もうと手をのばした先に、僕は一冊の本を見つけた。
黒いカバーの、さっきまで彼女が読んでいた本だ。
表紙を開いて、その本の題名を見て、僕は笑う。
そのまま本を手に立ち上がり、店の出入り口へ向かった。


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