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蒼い殺意
【純文学 その他小説】

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蒼い殺意-12

(七)戻った彼女

一人とり残された彼は、孤独感に襲われた。わすがの時間ではあったけれども、彼の心の中で蠢いた獣の叫びを無視はできなかった。そんな叫びを抑えつけるために、独り言の如くにつぶやき続けていた彼だった。今、惨めさが深く突き刺さっている。女学生が憮然として帰ったことではない。不満げな表情を見せたからでもない。頑なに己自身を抑え続けたことが、である。反道徳だ!無道徳だ!と騒ぎ立てる彼が、その壁を打ち破ろうとしない己自身に惨めさを感じたのだ。

「何故だ?結局ダメなのか俺は。今の俺に未練があるというのか・・・馬鹿な!考えすぎるからかもしれない。俺は、自由が欲しい。絶対的な自由が欲しい。」
積み上げた本の中から、一昨日図書館から借りだした一冊を取り出した。

「頭を首切り台に載っけてぢっと待ちながら・・・・・次に来るものをに意識している。最後の一秒となっても、かふいう状態が続くのです・・・・と、不意に頭の上に鉄のすべる音がきこえる。」と、『白痴』の一節を声をあげて読み上げた。あっ、と思い出したようにステレオのスイッチを入れ、FM放送の音楽を流した。そしてそのリズムに合わせるように、又声を上げて読み始めた。(注:原文に忠実に掲載しています。旧かな遣いです。)

「それはどうしても聞こえるに相違ありません!もし僕だったら、僕がそんな風に板の上に臥てるのだったら、僕はわざと耳を澄ましてその音を捉へたでせう!それは多分一瞬間の十分の一くらいしかないでせうが、必ず聞こえるに相違ありません。それに考へてもごらんなさい。今でも世間で議論してるじゃありませんか。頭が切り離されたことを知ってたら、どう云ったらいいか。」
*臥てる=ねてる

”トントン!”
ドアをノックする音を、彼は逃さなかった。“もしも戻ってきた時には・・・!”と、固い決意をしていた彼だった。耳に、”ガンガン!”と響く心臓音を、否応なしに聞いた。再度のノックに、彼は吸い付けられるように立ち上がった。

「誰?」と、押し殺した声が思わず出ていた。
「私!忘れ物したの、中に入るわよ。」と、言い終わらぬ内に女学生が入ってきた。
「袋を忘れたの。」と、女学生の指さす場所に、確かに紙袋はあった。しかし、ゴミとしてのように隅に置いてあった。しわくちゃの紙袋の為にわざわざ戻ってきたとは思えない女学生に、彼は精一杯のー彼としては愛情を込めて言った。

「ついでに、テーブルの上を片づけてくれょ。そのつもりで戻ってきたんだろう。」
瞬時、女学生はほ々を赤らめた。が、すぐにキッと睨み据えると、
「何よ!心配だから戻ってきたのに。いかにも私、邪魔者みたいね。ひどいわ!お掃除までしてあげたのに。大体失礼よ、あなた!私を呼んでおきながら、一人で訳のわからないことばかりつぶやいてばかりで。馬鹿にしないで!嫌いなら嫌いと言ってよ。どうしてあの時 『来るな!』って言わなかったの。黙ってるから、私・・・」と、涙声で、言葉を詰まらせながら言い返すのだった。

彼は、黙ったまま窓際に座り込んだ。入り口に立ちすくんでいた女学生は、勢いよくドアを閉めると、彼の前に正座し睨み付けた。
暫くの沈黙が流れた。と、女学生は、
「意気地無し!」と、金切り声をあげ彼の膝に泣き崩れた。それでも彼は、女学生の涙のしずくを足に感じながら黙りこくっていた。やがて、それは激しい嗚咽に変わった。

彼は体を横に伸ばして、本の上の原稿用紙を取った。そしてそれを女学生に手渡すと、
”読めよ!”と、目で言った。肩をしゃくりあげながら彼の横に座ると、窓からの弱い陽の光で読み始めた。


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