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『無題』
【青春 恋愛小説】

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『無題』-1

その日は朝に目が覚めた。
朝に目が覚める事なんてめったにない。大体は昼を回ってから目が覚める。ここのところは昼以降ばかりだったから、その急な朝は少しばかり戸惑った。
とりあえず着替える。本当はスカートなんて履きたくないのだけれど制服なので仕方なく着る。着替えたら学校にも行かなければならない。朝に目が覚めるっていうのはそういう事だ。
着替える途中に自分の身体を鏡に映して部品ごとに観察してみる。
足、腰、腹、胸、肩、そして顔。
どの部品も心なしかふっくりしたように感じられる。太ったというわけではなく女性的な性質を持った曲線。そこに化粧気のない少女染みた顔が乗っている。
もちろん化粧は校則で禁止されているが、それはトイレの汚物入れのごとくに無視されている。進学校でもない、ただのバカな女子高だ。少女たちは化粧で個性を演出し、あるいは化粧で個性を失くして3年間を過ごすのだ。
そんな中でやはりその化粧気のない顔は目立つ。眉毛すら整えていない。けれど不細工というのとは違う、と思う。その整っていない太い眉毛ですらとぼけた愛嬌を出すのに一役買っている。薄い化粧だけでも覚えたら、決して悪くないだろう。
最後に胸のリボンを整えたらカバンを持って部屋を出る。
家に鍵をかけるカチリとした音が無機質に別れを告げてくれた。

ペラペラのカバンを持って通学路を歩く。こうして朝の空気の中を歩くのは久しぶりだ。新鮮な空気や抜けるような青空は綺麗だけど、どこか押し付けがましい感じがする。
人気のない横断歩道まで出ると向かい側で少女が大きく手を振っている。
白瀬ユカリだ。
「おはよー、アキちゃん」
返答に困る。その無言で白瀬は気づいたようだった。
「てっちゃん?」
頷く。
白瀬も色々と考えるみたいに2、3回頷いた。
そのまま二人、無言で歩く。白瀬の横顔を盗み見る。自然体を崩さない軽い化粧がしてある。整った肌と細い眉そしてしっとり潤った唇。柑橘系の香りもする。
あのさ、と白瀬が話しかけてきた。
「アキちゃん、昨日嫌な事でも会ったの?」
話すべきかどうか迷った。プライベートな問題だし、アキなら誰にも話さないだろうから。
結局、話さない事にした。
「嫌な事かはわからない。ただ驚いてるんだと思う」
白瀬はそっか、とだけ言った。
通学路はもう短い。

幹元アキは脆弱だ。
始まりは中学2年生だった。
持ち前のどん臭さのせいで恰好のスケープゴートとなったアキはイジメを苦としていた。とは言え自殺も環境の改善も選ばなかったアキが行ったのは自分の中に別の人物を作って身代わりにする方法だった。
それで幹元テツヤ、つまり僕が生まれた。
それに成功して以来、アキは少しでも嫌な事があると身代わりを出して引き篭る。
因みにテツヤというのはアキの小学校時代の初恋の人の名前。つまりアキの脳内ではピンチになると初恋の彼が助けに来てくれるという設定らしい。救いがたいくらいに乙女チックな想像。
でも僕はそんなアキの事が好きだ。僕もアキの一部なのだから当然なのかもしれないけれど。

ピシャリッ!って音。その音で休み時間の踊り場は凍りついた。
一瞬に何が起きたのかわからなかった。
頬が熱くなっている事で漸く叩かれたらしい事がわかった。
戸田ナツミは叫ぶように「ふざけないで」と言った。
「ふざけてるつもりはないけどそう聞こえたなら謝る。だけどこの体はアキのものだからアキの事が好きなんだったら叩くのはよくない」と僕は言った。
戸田ナツミは悔しそうにこちらを睨みつけた。肩で息をしていた。それから泣きそうな目をした。いろいろと真剣なのだ。


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