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『二人の会話』
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『二人の会話』-3

「おはよう」
 もう11時だけど、そう声をかける。
「おはよ」
 葛西は顔を上げずに答える。無愛想な声。僕はやる気の無いウエイトレスにコーヒーを注文して席に着き
「それは昼食?」
 とサンドイッチを指差して言う。
「朝食兼昼食」
 簡潔な答えだ。
「それにしては量が少ないね。サンドイッチだけ?」
「あまり食欲がないの。昨日は結構飲んだから」
 ようやく葛西は本を閉じて僕を見る。その顔には二日酔いの色がほのかだが確かに浮かんでいる。
「平気?」
「まあまあ」
「そう」
 僕が微笑んでも無反応なのは、二日酔いのせいじゃない。いつも通りだ。
「どうして昨日はそんなに飲んだの?ただでさえそれほど酒に強くないのに。二日酔いになるくらいまで飲むなんて計算高い葛西らしくない」
 ちょっと皮肉っぽい僕の台詞に、葛西は「放っておいて」というような視線をよこす。僕はそれを軽くいなし、肩をすくめるような動作をする。沈黙が会話に潜り込む。そしてその沈黙に音楽が潜り込む。店内は名前の知らないジャズが、きちんと聞こえるが邪魔にならない、適度な音量で流れている。こういう音楽はどこで作られてどこから仕入れられてくるのだろうか。まるでもともと昼間の喫茶店用に作られたみたいに聞こえる。昼間の喫茶店用の音楽を書くための場所があって、昼間の喫茶店用の音楽を演奏するための人が居て、昼間の喫茶店用の音楽を収録するためのスタジオがあって、と、スナック菓子を作る工程みたいに全部一括して管理されていたりするのか。勿論そんなはずはない。本当はそれぞれの曲はそれぞれ別の目的を持ってそれぞれ別の場所で作られたのだ。本当の作曲者や演奏者は、その曲が喫茶店で流されるなんて少しも思わなかったかもしれない。僕は音楽を喫茶店の付属物としてでなく、一つの独立した音楽として捉えようとする。
 僕の注文したコーヒーがテーブルに置かれる。
「犬が死んだの」
 ウエイトレスが背中を向けて去るのと殆ど同時に、葛西は言う。音楽の具体性は遠ざかり、空気と同化する。
「犬?」
「実家で飼ってた犬。昨日の昼に、親から電話が掛かってきて、それで聞いたの」
 そこで初めて僕は、葛西がさっきの質問に答えているのだと気付く。
「それで、昨日は悲しかったんだ?」
 それであんなに飲んだのか。でも昨日はなにも言わなかった。
「さあ。よくわからない。悲しかったのかな」
 よくわからない、と、首をふりながら葛西は言う。
「悲しかったんだよ」
 多分、昨日はそれがよく分からなかったのだろう。葛西が昨日飲みすぎたのは、あるいは悲しかったからではなく、自分の気持ちがはっきりと捉えられない違和感のようなものに対する苛立ちからだったのかもしれない。でも彼女は今日になって自分は悲しかったということに気付いたのだろう。二日酔いの頭は悲しみと冷静に向き合うことに適している。
「そうかもね。でもなんで悲しいのかな。もうほとんど会ってもいないのよ、その子には。そういう点では、他の家の犬と同じようなものよ。私にはもう関係ない。どっちにしろもう会わないんだから、生きていようと死んでいようとそれは同じ。その子が生きていたって、死んでいたって、今の私の生活スタイルは1秒たりとも変化しないはずなのよ。そんな犬が死んだとして、あなただったら悲しい?」


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