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多分、救いのない話。
【家族 その他小説】

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多分、救いのない話。-5--8

「貴方にとっては面白くない結果になったようね」
「社長にとってはおもろい結果やで」
「そう。楽しみね」
 それ以上は何も言わず、四枚ほどの書類を黙って渡した。
 それは、慈愛の担任の身辺調査の結果。以前頼まれていたもの。
 他人のプライバシーを土足で荒らすようなこんなことは、火口の良心に反していた。だが目の前の女に頼まれると、自分は絶対断れない。それが最初からわかっているなら、覚悟しておけばいいのに。或いは、自身の規律に従い、断ればいいのに。どちらも出来ず、渡す前も渡してしまった今も、迷いと後悔と自己嫌悪にまみれてしまう。それが彼女の言う、自分になくて火口にあるものなのだ。彼女は決めたら迷わない。揺るがない。
 しばらく彼女は書類を眺めていた。それほど情報は多くない。女関係はあの甘いハンサム面にしては真面目なもので今は特定の女はいないようだし、現在の人間関係にトラブルもなく、生徒の評判も悪くない。
 そして情報は過去に遡っていく。国立の大学を出て、公立の高校へと。学生時代の成績は概ね良好だった。特筆するようなことは何もなく、故に社長の文字列を追う眼の動きも早い。
 だがある一箇所で、止まる。予想はしていた。それでも彼女の笑みが透明度を増していくのを見るのは、怖かった。
「ねぇ、ここの項目なんだけど」
 だから社長が何かを言う前に、火口は更に重ねて書類を渡した。その項目の詳細な情報を。
 一瞬だけ呆気に取られ、しかしすぐにその意味をわかって、彼女は嬉しそうに、笑みを深める。
「私、仕事の早い男は好き。頭のいい男もね」
 恐らくは、最上の賛辞。それを受け止めかねる自分が、たまらなく嫌になる。
 更に渡された書類を彼女は確認する。全てを確認し終えた時、
「ふふっ」
 どこか悪戯めいた、嬉しそうな愉しそうな、心に直接響くような、そんな笑声が届いた。
「勘は当たってたわ。この男、慈愛の担任にしておくには危ないわね」
「……かもな」
 彼女がそう判断するのも分からなくはない。しかし、それは慈愛の事だけを考えた、慈愛の為だけの判断だ。
「母親が目の前で自殺、か」
 書類にはこう書かれている。『母親は当時十四歳の葉月氏に心中を迫り、結果母親のみが死亡した』と。
 母親は死亡する数年前から、リストカットなどの自傷行為を繰り返していたらしい。これがあの教師の決定的なトラウマになっていたのだとしても全くおかしくない。そう考えると、……慈愛の首の辺りに常にある、刃物による傷に対して過敏に反応したのだとしたら、気付いていたようなあの素振りも頷ける。
「けど昔の話やろ?」
「客観的にはね。でも彼にとってはきっと違うわ」
 彼、という言葉がまるで親しみを持って言っているかのようで、黒い感情が僅かに湧く。
 彼女は書類を眺めている。けれど書類を見ているわけではなく、その向こうにいるあの教師を心理的に解剖しているのだ。それは丸裸なんてレベルではなく、その内側の臓物や汚物までもさらけ出そうとしている。慈愛が絡んでいるのだ。容赦などするわけがない。
 だが不意に視線が、火口に移る。きゅう、と唇の端が上がり、腕を背中に回し。愛しむように火口を抱きしめる。
「ありがとう。思っていた以上に面白いことが分かったわ」
 耳元で囁かれ、吐息が耳朶を打つ。髪の香りが、火口の――男としての部分を、刺激する。
「何かお礼をしなくちゃね。何がいい?」
「そやなあ」
「何でもするわよ。私に出来ることなら」
「………ほんまに、何でも?」
 いつもは金銭や品物で済ませている。それが、一方的に感情を抱いている火口を一方的に利用するだけにしないための方便なのだと、火口は知っている。だがこんな風に行動で示すなんてことは滅多にない。それほど仕事のスムーズさに満足しているのか。それとも、自分には到底理解できないような考えがあるのか。彼女の思考回路は自分とは違いすぎて、言動を読むのは難しすぎる。
「ねえ、何がいい? 何でもしてあげる」
 普段の毅然とした口調ではなく、どこか甘えるような声。このいつもと違う反応は、何を意味しているのだろう。


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