バレンタインと墓標-1
誰に何と言われようとコリンは誠実な男だと沙織(さおり)は思っているし、実際、この三年間でいやと言うほど思い知らされた。
何よりきちんと食べるところがいい。一緒にご飯を食べに行くとき、どんなにお腹が空いていても適当なお店に入ったりしないところが、沙織は特に好きだった。いい店が見つからず、からっぽのお腹を抱えて、日の沈みかけた繁華街の真ん中で途方に暮れていると、まるで二人で世界から置いてけぼりを食ったみたいだった。
「お姉ちゃん、早く行こう？」
自室ののソファベットで横になって本を読んでいた沙織を、実(みのり)は扉の前でせかした。六つ年下の妹の仕草は、まだまだ幼くて沙織をほっとさせる。自分の庇護を必要とする存在、というのはひどく安心するものだと、最近沙織は発見した。
「早く。帰ってきたらすぐに作っちゃわなきゃ」
足をじたばたと踏み鳴らす実にこの上なく保護者ぶった笑顔を向けながら、沙織は身体を起こす。しょうがないかぁ、と言った自分の声が自分にさえ嬉しそうに響いた。
百貨店は女ばかりで賑わっていた。十三日の金曜日。ジェイソンよりも不気味なのは、平日の昼過ぎにどこからどうやってこんなにも女が集まってくるのかということだ。沙織はうんざりした。自分ですら偶然出来た休日なのに。
「バレンタインの前日はいつ女のための休日になったっけ」
沙織の呟きを実は無視してトリュフコーナーへ走っていく。
「見てこれ!!『カラフルトリュフ』だって!!」
実の差し出したパッケージには、ピンクや緑の色とりどりのチョコレートが並んでい
た。
「下品」
着色料の塊みたいだと思う。それに沙織は、恋人に贈るのに、ピンクはもっとも安直で頭の悪い色だと信じていた。
「焼き菓子にしようよ。ブラウニーとか」
いやっ、私はコレッと言って、実は買い物かごに勢いよくトリュフを放った。
（まあいいや）
とりあえず、早く決めてしまおう。沙織はそのままケーキ・ブラウニーコーナーへ向かった。ばさばさと無闇に大手を振って歩く様子は、突撃、という感じに見えただろう。
「あー、疲れた」
スターバックスで一息ついていると、実が楽しそうに言った。あんまり遊びたりた子どものそれだったので、沙織は不覚にも笑わずにいられない。
「ほーんとにね」
「お姉ちゃん、なんだかんだ言ってすっごく真剣に選んでたね。顔がマジだったよ」
からかうように言った実を沙織は一瞥した。
「当たり前でしょ」
ぷいとそっぽを向いて拗ねてみせると、沙織はけたけたと笑った。
当たり前だ。おそらくは、これが最後のプレゼントになるのだから。
そう、このままでは私たちは死ぬ。
江國香織の『スイート・リトル・ライズ』を読みながら待ち合わせた駅に向かう電
車の中、沙織はぼんやりと考えた。
その本では、主人公夫婦が別々の恋人と恋をするのだった。彼女の小説ではありふれたテーマだけれど、沙織には自分がいま求めているのはそういう物語なんだと思っていた。