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『定例会』
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『定例会』-2

 積極的だけど攻撃的ではない微笑。注文されたモンブランとコーヒーを差し出す、自らの意志を極力薄めた、役割としての白い手。
 この瞬間が、少しだけ緊張する。こちら側とあちら側がつながる一瞬。私は恐る恐るという感情を引っ込めて、あるいは隠して、いかにも無関心といったふうにそれを受け取る。そして相手の職業的な笑みに対して、中立的で匿名的な笑みを返す。
 バカらしい。と思う。自分でやっておいて。
 壁際の席に座って、隣の椅子には鞄を置いておく。その鞄から文庫本を取り出して左手に持つ。うん、出来上がり。香りのいいコーヒーと小さいケーキと古い小説の午後。少し薄っぺらいけど、それなりに落ちつく、平和な時間。午前中にしか大学の授業が無い日にだけできる、ほんのささやかな贅沢。牧歌的、という言葉が頭に浮かんだ。何となく。
 確かな一人の時間。のはずだった、少し前までは。今ではそれは間違い。孤独さを確保するために隣の席に置いていたはずの鞄、それももう意味が違ってきている。
 ちょっとした期待。でももう半時間ほどは一人の時間が続けられる。私は手元の小説の世界に入り込む。
 ページが40くらい進んだところで、肩をぽんと叩かれた。いや、叩くというよりは触れるという表現が正しい、優しく控えめな手。「もし都合が良かったら気付いてくれませんかね」といった感じの。
 「やあ。」
 と彼は言う。
 「よ。」
 と私は返す。私の本当の気分よりレベルを4くらい下げた微笑で。
 置いていた鞄をどかすと、彼は当たり前のようにそこに座る。
 「いつ来ても君は居るんだな。ひょっとして毎日来てる?」
 「そんなわけないでしょ。佐藤君が私の居る時に来てるだけ。」
 そう言って、放っておいたコーヒーを一口飲む。ぬるい。それからこう付け足した。
 「ひょっとしてストーカー?」
 「そんなわけないだろ。俺が来るときに斉藤さんが居るだけ。」
 すると佐藤君はそう言って笑った。前歯の間から衣擦れのような音が漏れる笑い方で。その度にいつも思うけど、きっと佐藤君は「th」の発音が上手いに違いない。
 それから私は本を閉じて、佐藤君との雑談タイムに突入。佐藤君はウエイターにコーヒーだけを注文した。
 佐藤君の話は面白くない。少なくとも話している時は。でも、しばらく経って、自分の部屋でゴロゴロしているときなんかに、ふっと思い出されて、それからその話について考えたり、組み立てなおしたりしているうちに、なんだかとても興味深いもののように頭に染み付く。言葉の断片とか、単語とかじゃなく、なんていうか、会話そのものの全体として。佐藤君の話は、なんだかそれ自体が完結した一つの概念であるような、んん、どう言ったらいいのかな。語彙の少ない私に、この説明は少し難しい。
 佐藤君と会話した後は、ちょっとした短編小説を読んだ後のような感覚になる。噛み砕いて言うと、そんな感じ。佐藤君と話すことは、だから私はすごく好きだ。すごく。
 「ねえ。」
 私は思い出したように言った。というか、本当に思い出したから言ったのだけど。
 「どうして私に声を掛けようなんて思ったの?」
 佐藤君は一拍置いてから
 「最初の時?」
 と聞き返す。私は頷く。佐藤君はそれから少しだけ考えるそぶりをしてから
 「なんとなく。似てる、と思ったから。」
 「誰に?」
 「自分に。」
 そうかなあ、と言って私は記憶の中の家の鏡と、目の前の佐藤君の顔を見比べてみる。


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