深紅の新薬・人体実験-2
―カチカチカチ……―
目をうっすら開けてみると、白い天井が移る。軟らかく沈む布団は、どこか消毒液の匂いがした。
音の方に目をやり、ぼやける視界に目を凝らす。
―カチカチカチ……―
パソコンのキーを叩く軽い音を静かな部屋に響かせている広い背中…―あっ！！
一気に頭を駆け巡る回想シーンに背中を押されて、無意識に身体を起こす。
「いっ…てぇ…」
体中を駆け巡る激痛に叫んで、ベッドに再び倒れこんでしまった。
「身体、起こせないだろう？最近の子供は手加減を知らないから怖いよ。ココとココが切れてる。ココは、かなり酷く殴られたみたいだ」
長い足を組んでベッドサイドに座り、俺の唇の端や鎖骨あたりを指す、その繊細な指、カラスを彷彿とさせる黒い髪の毛。長めの前髪から覗く切れ長の目。妖しい光りを放つ瞳。微笑む薄い唇……。
恐ろしいほどの美形に思わず愕然としてしまう。
「俺の顔、何かついてる？」
「あ？あっ、いいえ…あの…さ、さっきはありがとうございます」
慌ててポカンと開けていた口を閉じて、真っ赤になりながらそれだけ言うと、後は、何から話していいかわからず、口篭ってしまう。
「あの男達は、知り合い？同じ制服着ていたけど」
「多分上級生だと…電話で呼び出されたんです。『俺だけど。明日の委員会の打ち合わせしたいから来てください』って。てっきり同じ委員会の先輩だとばかり思って。そしたらあんなことに…」
「ハハハ…今流行の『オレオレ詐偽』ってやつだな」
笑った顔が、妙に悪がきっぽくて、親近感が湧き、少しホッとする。
「この傷だと、多分明日くらいには発熱するな。熱が出たらこの薬を飲んだらいいよ。痛み止めだけど、解熱作用もあるから。心配しなくても大丈夫。ちゃんと薬剤師免許はもってるんだ」
指差した方向を見ると、吊るされた白衣に『薬剤師 水野』と書かれたネームプレートが見えた。
「水野さん…薬剤師なんですか」
「うん。専ら、新薬研究が専門だけどね」
そう言って、俺の制服のポケットに薬袋を入れ『送って行こう』と立ち上がる水野さんを目で追いながら、このまま帰るわけにはいかないと、咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「ま、待って！俺、何かお礼をしなくちゃ。っと言っても、かえって失礼になるほどのお金しか払えないし…そ、そうだ。何かして欲しいことこととかないですか？…って。ないですよね…俺なんかに」
「ある」
「え？」
痛みも忘れて飛び起きた俺を、水野さんが腰を屈めて俺を覗き込む。
「あるよ。君にして欲しいこと」
「俺、何でもします！何ですか？」
顔をグッと近づけられて息を殺した俺に、ニヤリと笑いかけた彼が、小さい声で囁いた。
「治験の被験者」
「ち、け、ん？？」
初めて聞く言葉に首を傾げる俺を、嬉しそうに見つめる男…脳裏に一抹の不安が過ぎった。
『これ、ですか？……』そう言ったきり、深紅の小さなカプセルと、水の入ったコップを握ったまま、かなり長い間動けずにいた。
『治験とは、新薬の製造や輸入承認を求めるために行われる臨床試験。つまり、人体実験だ』―そんな風に説明された後、こんな天然では到底出せないであろう色の粉を渡されたんだ。
『何でもします』と言ってしまった手前、引くに引けなくなってしまったけれど…
隣の部屋から、俺が座るベッドサイドに零れてくる仄かな明かりにカプセルを透かして見て、上目遣いに横をチラリと見る。
水野さんの顔が、まるでプレゼントの包みが開かれるのを、今か今かと待ちかまえている無邪気な子供のようで、それは、戸惑う俺に無言のプレッシャーをかけてくる。
「大丈夫だ、って言っても、やっぱ心配？」
「はい…勇気が出ない…です」
「わかったよ。じゃぁ…」
そう言うと水野さんは、徐に俺の手から薬を取り上げた。そして…
彼は、その怪しいカプセルを自らの口腔内に放り込んだ。
「！？」
その動作にあっけに取られていた俺は、突然ベッドに押し倒されても声さえ出せずにいた。
だから、勿論その後、水野さんの身体が降って来て、唇が重なった時も頭は真っ白。
唇を割って侵入した水野さんの舌は、同時に入ってきた薬を、喉の奥へと押し込んで、俺が、苦しさのあまりにそれを、喉を鳴らして飲み込むのを確認すると、やっと唇を離した。
そして、『ハァ〜』と大きく息を吐く俺を嬉しそうに見つめていたかと思うと、再び覆い被さり、切れている唇の端をペロリと舐めた。
「なっ！？」
優しく見下ろす瞳は、妖艶な光りを放ち、形のいい唇が囁く。
「さぁ、実験はこれからだよ。奏太君」