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チュー、したい!
【コメディ 恋愛小説】

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第二章 イヤな奴-1

「高橋君、チョット・・・」
課長の声に、男は吸っていたタバコを灰皿に揉み消して立ち上がった。

席の前まで来ると、口の端に皮肉っぽい笑いを込めて見上げる顔があった。
男がこの世で一番嫌いな顔であった。

「何だね、この見積書は・・?
こんな値段じゃあ、赤字じゃないか」

額が汗で光っている。

(油ぎった・・・ブタめ)
男はそう心の中で呟くと、弁解し始めた。

「で、ですけど・・・
今度の受注は何としても成功だせろと、
課長がおっしゃったんじゃないのでは・・・」

「こんな値段をつけろとは、誰も言っとらん・・・。
どうするつもりだ」

「では、いくらなら宜しいんですか」

男はムッとした調子で聞き返した。

「まあ、これより一割・・・いや,二割ぐらい多めだな」
「それじゃあ交渉すら、してもらえませんよ」

「それをうまくやるのが仕事だろ。
とにかく、この値段でとっても赤字だからな。
そんなに言うんなら,君が部長に説明しろ。
まっ御手並み拝見って所だな・・・」

そう言うと、男を無視するように他の書類に目を通し始めている。
男は怒りで顔を真っ赤にして、席に着いた。

いつもこの調子である。
部下には絶対と言っていい程、具体的な指示はしない。

仕事を取れだとか、うまくやれだとか、漠然とした事しか命令しないのである。 
そのくせ何かまずい事があると、今みたいに脅すように言う。

本人はそれでもう、責任を果たしたかのような気でいる。
問題が大きくなったとしても、自分は忠告したはずだと、イケシャアシャアと言うに決まっている。

こんな奴が管理職なのである。

昔の右肩上がりの高度成長期であれば通用したのであろうが、現在の不況時にこんな漠然とした指示で、うまくいくはずがない。
各社とも少しでも受注を増やそうと、ダンピング攻勢をかけてきている。
赤字だからといって定価でだしていたら、取れる訳がないのだ。 

絶対受注しろ。
赤字をだすな。
等、と虫のいい仕事があるわけ無いのである。 

こんな時は、赤字でもいいから受注する。

そのかわりメンテナンス契約等で将来的に資金を回収できるから、何パーセントまでならいいか等、具体的に数字を上げるべきなのだ。
そうすれば、たとえ受注できなかったとしても、次回の入札の参考データにできる。

結果論しか言わない野球解説者のように、お気楽で無能な管理職が多い。
男は自分なりにメンテナンス契約等の計算をやり直して、受注金額を書き直した。

それでも二割等、とんでもない話であった。 
その作業でその日は深夜まで残業するハメになってしまった。

結果的に仕事は受注できた。
しかし、部長に報告する時の課長のセリフが男の胸をえぐった。

「とにかく取るには取ったんですが,赤字スレスレで・・・。
私の指示で値段を上げたんで、
メンテナンス契約をとれば何とかトントンにはなるでしょう」

男が綿密に計算し、作成した書類を片手に得意満面な顔でしゃべっている。
男は身体がすり減る想いがした。
なまじ仕事が出来るので忙しい時にでも、いくつも持たされ課長の虫のいい命令でも、今のように何とかこなしてしまう。

礼儀正しく、気の弱い性格なので断れないのだ。
昔はもっとハッキリと物を言う性格だったと思う。

年をとるにつれ、徐々に気弱になっている気がする。
今年で三十二才になる。
まだ、独身である。

不況で新人が入って来ず、経費削減のため部下もつけてもらえずに一人きりで作業をしている。
なまじ効率良く仕事をするため、人が出来ない難しい物件を持たされてしまう。 

絶えず仕事の緊張感にさらされている。
男はこの頃、鏡を見る度にため息をついてしまう。

年々、薄くなっている。
気が弱くなったのは、これが原因なのだろう。 

元々体質的なものはあったのであろうが、仕事のストレスで急に髪の毛が少なくなってきている。
何か自分の生気も一緒に抜け出ていくようで、気が重い日々が続いている。

中学、高校時代はバスケット部のキャプテンをしていて、人望も高く異性にもモテル方だった。
あの頃は人生に対して、理想と自信が溢れていた気がする。

大人になるにつれ、特に不況になってから徐々に、人生のイヤな部分が見え始めて来た。 
優しすぎる性格なのだろうか。

それとも、課長のような人間になりたくないという反発なのだろうか。
いつも、自分が苦労する道を選んでしまう。 

恋人でもできれば心も安らぐのだろうが、仕事が忙しいのと薄い頭髪に対するコンプレックスから、好きな人はいるのだが言い出せないでいる。

三十を過ぎると、益々臆病になっていた。
今朝も、課長に押しつけられた物件の見積書を計算している。

赤字確実なのだが、何とか将来的に黒字になるように契約金額をシュミレーション設定をするのだ。
どうしてもうまくいかない計算にため息をついていると、目の前にコトリと、コーヒーの入ったカップが置かれた。

「毎日、大変ですね」
えくぼのある可愛い顔から、白い歯がこぼれていた。

「あ、ありがとう」

男は顔が赤くなるのを隠すようにコーヒーをすすった。
暖かさが胸の奥までしみ込んでいくようだった。

同じ課のフロアキーパーの谷口ゆりである。 
今年で入社三年目になるが、良く気が付き、気立てもいい。

若さに溢れ、明るい笑い声が、男の心を浮き立たせてくれる。
だが恋を打ち明けるには年の差と、頭髪の薄さが男を臆病にさせていた。
スタイルのいい後ろ姿を見送っている自分に、焦れったさを感じていると、イヤな声で現実に戻されてしまった。

「高橋君・・・チョット」
男は、喉元に重い物が引っかかった気分で席に向かった。

「悪いんだがね・・・。
このA社のクレーム処理の件だけど、君、何とかできないもんかね」

男の背中に、ねっとりした汗が流れた。
この物件は課長が無理矢理利益を上げようと、コストを下げるため新人に命じて安易に仕様ダウンさせた製品を発注した物だった。 

案の定、トラブルが発生してカンカンになったA社がクレームをつけてきたのであった。 
男の仕事量は、もう限界を超えていた。

「で、ですが課長。
僕はもう仕事がいっぱいで・・・」

男の戸惑う表情に、ずるそうな笑いを浮かべて課長が言った。

「ああ、だが担当の東君はまだ新人だし、
とてもクレーム処理はできんだろう・・・。
作業は彼にさせていいから、君が何とかまとめてくれんか、たのむよ・・・」

絶対、断れるハズが無いと踏んでいる。
この上司は男の事を有能とは思っていない。

良く言うことを聞く奴として、それを使いこなしている自分の方が偉いと思っているのだった。
結局、男は報告書をまとめて先方に謝りにいく事になってしまった。

また今日も、残業になりそうだ。


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