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糸の色
【大人 恋愛小説】

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糸の色-3

 かすかに波打つ音が聞こえてきた。今日の目的地へ着いたのだ。車から降りると、トランクを開け何かを探している宏を置いて、あきはひとり砂浜へ向かった。潮の香りがする風が露出した肌を冷やす。思わず、両方の腕をさすった。
歩きながら、あきは以前来た日のことを思い出していた。

ふたりが出合ったのは、今の会社に入社したとき。あきは一目ぼれだった。その後、宏の仕事ぶりを見ていくうちに、恋へと発展していった。
 半年以上たった頃、ドライブに誘ったのは意外にも宏の方だった。
 その年の初雪が降った日。
 肩を並べて砂浜まで来たふたりは、宏が車から持ってきたブランケットを一緒にはおり、だいぶまえに打ち上げられたらしい乾いた流木へ座った。
 そして、いろんな話をした。あきは緊張していて、何を話したのか全然覚えていない。それでも目に映った風景は、はっきりと覚えている。今日よりも空気が澄んでいて、たくさんの星が見えた。海との水平線は、異世界の入り口のようだった。
 「あそこまで船で行けば、魔法が使えるファンタジーな世界に行けそうじゃない?」
 真顔でそう言うあきに、宏は笑ってからそっとくちびるにキスをする。その瞬間あきは、おどろきとともに頭がしびれたようになり、重ねていた宏の手をぎゅっと握る。目をあけると、宏は恥ずかしそうに笑って天を仰ぎ、そしてあきを抱き寄せた。

 大きくうねる音とともに、波しぶきが体にふりかかり、あきは我にかえった。足元で小さな波がさぁぁと打ち寄せ、引いていく。
 あの日の面影を探して、あきは遠くをじっとみつめた。漆黒に覆われた空と海は、もうどこが境界線なのか判別できなかった。そこは、ファンタジーのような心躍るようなものはなく、絶望と無限の苦しみが充満する地獄への入り口にしか見えないのだった。
 「そんなところにいると濡れるぞ」
 あきの後ろで宏が叫んだ。
 流木に座る宏もとへ行き、隣に座った。ふわり、と何かが肩にかかる。宏がスーツの上着を脱ぎ、あきにかけたのだ。宏にそっと身を寄せる。心が、ほんのり暖かくなった。
 「なんでこんなところに来たくなったんだ?」
 「こんなところって。私、海は好きなの」
 「寒いくせに?こんな薄着で来るところじゃないだろ」
 「朝、着替えるときはこんな予定じゃなかったの!」
 「だから、何があったんだ、て聞いているんだ」
 あきの目が潤んだ。うれしくもあり、切なくもあった。この人の手を、いつまでも離したくないと思った。
 「……別になにもないよ。いいじゃない。たまにはこんな日があっても」
 狭い浜辺は木々に囲まれ、車を停めた道路は見えない。ふたりのほかに、人はなかった。高い波の音ばかりがふたりを包んでいる。

 足元で何かが動いたような気がして、あきは立ち上がった。見ると、白い子猫だった。
 「かわいい」と何度も言いながら、あきがしきりに話しかける。
 そんなあきを、子猫は警戒して近づこうとはしなかった。
 
 あきは、猫に話しかけながら、ここへ来るときに見た紙袋の猫を思い出していた。
 あの老夫婦は見えない糸で繋がれていて、きっと、来世まで結ばれているのだろう。その色は、きっと赤い。
 それまでの人生に、ふたりには障害がなかったのだろうか?不信になり、嫌になったことは一度もなかったのだろうか。出会ってからずっと、いや、出会う前から、糸は赤かったのだろうか……
 
 
 「百合ちゃんがね、あなたのことを褒めてた。将来、出世するだろうって」
 「へぇ。浅田さんがねぇ。なんでだろ?うれしいなぁ」
 「それにね。恋人にするなら、ひろしみたいな人がいいって」
 あきの心臓はドクドクと大きい音をたてていた。いつもだったら飲み込んで言わないようなことを、今は素直になって吐き出してしまいたかった。そうすれば、ふたりが末永く付き合っていけるのだと信じていた。白い子猫が、じっとふたりを見ていた。


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