先輩に溺れて-8
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その日は、金治はこのソファーと毛布を借りて眠ることにした。寝室のベッドで一緒に寝てもかまわないと真由美は言ってくれたが、金治はそれを断った。
(ーーだって、そこには旦那も寝るんだろ…?)
ベッドで寝るのは一線引いておかなければいけないことだと思ったからだ。疲れていたのか、横になり、目を閉じると金治はすぐ眠りにつく。
ーー次に目をあけたときには、目の前に真由美がいた。
「おはよう。コーヒー飲む?」
「あ…すみません、いただいてもいいですか…」
すぐそばに置いていたスマートフォンの時刻を確認すると、9時を過ぎていた。人の家で結構熟睡できたらしい。
真由美はテーブルの上に歯ブラシを置いてくれた。
「使い捨てだけど、使っていいよ」
真由美は大きな窓のもとまで歩み寄ると、カーテンを開ける。明るい春の日差しが差し込んでくる。快晴だった。
起きたばかりの金治にはまだ眩しい。
洗面所で歯を磨き終わり、リビングに出ると、マグカップが二つテーブルの上に置いてあった。
「どうぞ」
真由美がソファに座り、隣に座るよう促される。
白いパーカーに、白いホットパンツで、長い脚がすらりと伸びている。
すっぴんの真由美を見るのは、初めてだった。頬がもちもちとしている。可愛い、と金治は思った。
「何?」
隣に座って顔をじっと見る金治の視線に気づいて、コーヒーに口をつけながら真由美が聞いた。
「あ、いや…ほっぺ、可愛いなあって」
「何言ってるの。もうおばさんになっちゃったよ。昨日とかその前とか…佐田くんのオチ×チン、あんなふうにしちゃってすごいがっついてるなあって思っちゃった。若いとき、見てもそんなに興奮しなかったのにな。
佐田くんこそ、あたしのこと思ってたのと違うって思ってない?大丈夫?」
「えっ、あっ…」
唐突に思い出される、昨日の記憶。
ペニスを美味しそうに舐め、手に取り、絶頂まで導く。
(確かに今まで付き合ってきた子には、ああいう積極的な感じはなかったかもしれない…)
「ま、真面目だとは思ってましたけど…その…嬉しいですよ…そりゃ…」
「ふふ、ありがとう。そういえば、きちんと話、しておきたかったの。夫のこと」
金治はマグカップを手に取ろうとしたが、思わずその手を自分の膝の上に置いた。
「夫はSの役員なんだ。だから今回の小菅くんのこと、色々できたの。小菅くんにされたことを夫に相談して…」
金治の身体中にぶわっと鳥肌が立った。
自分のこともおそらく言われたのだと、金治は思ったからだ。
「あ。佐田くんの名前は出してないよ。だって佐田くんは、そんなことするつもり絶対なかったもん。
小菅くんが寝ちゃってて、佐田くんとあたしとで二人きりになったときそんなふうにならなかった。バラされなければ、ずっと隠し通しておくつもりだったんでしょう?
ーー勝手にバラして、成就させてやりたいとか言って、許せなかった。自分でそういう雰囲気にして、それなのに佐田くんのせいにして、ああいうことしたかっただけ。だから佐田くんは気に病む必要ないんだよ。
それに…そもそも小菅くん、要注意扱いだったの。Sの女の子と、複数関係を持ってて、揉めたことがあったみたい。プライベートなことなんだけど、Sの方にも耳に入ったみたいでさ。小菅くんのチームリーダーはあたしなので、Sの方からも報告されてて。
あたしも、注意はしてたんだ。付き合ってもいいけど、うちらは下請けなわけで…もう少しきちんとして欲しいって。そしたらアレが起こってしまった。本当に嫌だったんだけど、うちの管理職にも伝えた。社内で変な目で見られずに守られるなんて、夫が役員でなければ出来てなかったことよね。Sの役員がうちの夫だって知ったとき、本当に震えてたよ、小菅くん」
真由美は淡々と、あったことを話した。そして、真由美の夫がゲイであること、それを隠すために結婚したこと、だから一度も性交渉がないことを、金治は知った。
「ここは夫の持ち物だけど…ここで一緒に生活することはないと思う。だから気にしないで欲しい。
佐田くんの話は一応夫にしてないけど、夫も男性とよろしくやってると思う。戸籍上は夫婦だけど、外では楽しくやろうねって決めてるの。あたしだって遊びたいし」
そう話して、真由美は空になったマグカップを置いた。
「もちろん、この話は内緒ね」
「も、もちろんです…」
そんな秘密の話を金治だけにしてくれたことが、嬉しかった。
金治は、やっとマグカップを手に取ることができた。すっかり冷めてしまっている。
「もちろん彼女ができたら、あたしのことは断ってくれていいんだよ?」
ぶはっ!とコーヒーを吹き出しそうになって、金治はむせた。
正直なところ、付き合って長続きしても、女性と向き合うことができないでいたのだった。どうしても真由美の存在がチラついたからだった。
「ねえ、佐田くん。昨日の続き、しよ?」
「え」
真由美は金治の手を引っ張り、寝室へと誘導する。
寝室は、カーテンが締め切られ、常夜灯だけがついている。
寝室からは真由美のシャンプーと、香水の香りが混ざったにおいがした。大きなベッドに金治は座らされる。
「突いて欲しい」
耳元で囁かれた。
金治は我慢できなかった。時任真由美という大きな沼にはまってしまい、もう抜け出せないのだろう。彼はそう確信した。