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ブービートラップ
【ショタ 官能小説】

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Operation Desert Storm-1

年が明けるとすぐ、風雲急を告げる事態が発生した。イラクは、国連決議が定めた撤退期限の1991年1月15日を過ぎても、軍事占領したクウェートに居座り続け、国連社会の総意を無視した。

そこで、米英仏サウジ軍を主体とする14ヵ国軍(多国籍軍)は、Operation Desert Storm (砂漠の嵐作戦)を発動し、クウェートに駐留するイラク軍だけでなく、イラク本土の軍事拠点に対する空爆を一斉に開始した。

多国籍軍とイラク軍との間には圧倒的な戦力格差があるかに見えたが、イラク軍はソ連製のスカッドミサイル(弾道ミサイル)を温存し、対イスラエル攻撃や湾岸諸国の戦略拠点の攻撃に使用した。

また、イラクはサウジの海底油田であるカフジ油田の油井櫓を攻撃したり、敵の上陸を阻止するために、クウェート領内の油田に放火して膨大な煙幕を発生させた他、400億ガロンに上る原油をペルシャ湾に故意に流出させて、甚大な環境汚染を引き起こした。

約1カ月に及ぶ空爆を経て、同年2月24日に多国籍軍はクウェート解放の第2フェーズに移行した。Operation Desert Shields (砂漠の盾作戦)と名付けられたこの作戦で、多国籍軍は総勢50万人に上る地上戦力を投入し最先端の装備品で、侵略者を急襲した。これを受けて、クウェート駐留イラク軍は、雪崩を打って潰走した。

もはや、誰の目にも戦闘の帰趨は明白であった。

事件はその翌日の2月25日に起きた。イラク共和国防衛隊は、多国籍軍の兵站拠点であったサウジアラビアのダーラン近郊にスカッドミサイルを数発発射し、そのうちの1発が米海兵隊第14補給分遣隊兵舎に命中し、即死者28名、負傷者100名以上の大惨事になった。それは、対イラク軍戦闘が終結する僅か3日前のことであった。


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