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ブービートラップ
【ショタ 官能小説】

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嵐の予感-1

聡子は、翌日には元気を取り戻していた。その週の金曜はVeteran’s Day(退役軍人の日)で休日だったが、それまでは俺は学校があったため、母親が聡子を市内のあちこちに案内した。Sea WorldでKiller Whale(シャチ) Showを見たり、世界でも有名なSan Diego Zooで、パンダやオカピなどの珍しい動物を見てきたと、聡子は、はしゃいでいた。

また、怖いもの知らずの聡子はTrolley(トラム)に乗って国境駅のSan Ysidroまで移動し、歩いて国境線を越えてティフアナまで行くと言い出した。母親は血相を変えて、「お願いだから、危ないからやめて」と諌めたが、聡子は聞く耳を持たなかった。そこで、結局母親は彼女に同行するはめになった。メキシコ側で父親と合流し、運転手の車で市内を見物した。母親は、信号で止まる度に、ガムを売りに来るストリートチルドレンや、ソンブレロを被ったマリアッチの男達によるチップの要求に圧倒されて、顔面蒼白になったらしい。一方、聡子の方は、ティフアナのはっちゃけたカオスぶりに大満足して帰ってきた。

その晩、いも虫が入ったテキーラの大きな瓶を2本俺に見せて「大戦果。これ1本いくらだと思う?たったの1ドルだよ。ヤバいくらいに安かった。」と言って、聡子はご満悦だった。

その週末は、俺たち家族と聡子は車で、LAまで遠出し、遊園地のUniversal StudioとSix Flags Magic Mountainを1泊2日で巡った。俺は、Disney Landに行きたかったが、聡子が「メルヘンな世界には興味はない」と言ったため、結局、俺たちは、乱暴なアトラクションにrock n’ rollされっぱなしの2日間を過ごした。

こうして、嵐のような1週間を経て日曜に、聡子は帰国の途についた。

その年の感謝祭(11月第4木曜日)は、11月22日だった。俺は、ジャッキーと3人の女友達(ラナ、ソーニャ、ディーナ)を家に招き、母親の作った料理を囲みホームパーティをした。ジャッキーが、通訳してくれて、母親はとても嬉しそうだった。

1週間後の11月29日、国連安保理は、イラクに対して翌1991年1月15日をクウェートからの撤退期限とする第678号決議(対イラク武力行使容認決議)を採択した。

また、クリスマスイブには、俺と例の3人組はジャッキーの実家に招かれた。アメリカ人のクリスマスと言うと、日本のお盆や正月のように、親戚や友人が一同に会する賑やかな光景を思い浮かべるかもしれないが、彼女の実家は、ジャッキーと彼女の母親の2人きりで、ひっそりとしていた。

fireplace(暖炉)の上の壁には、ジェニファーの写真が架けられ、また、テーブルの上には、彼女の父親らしき人物の写真立てが置かれていた。

それは、一見すると、平穏に見える我々の日常に忍び寄る嵐を予感させた。

“May peace prevail in the whole world. Amen. (全世界が平和でありますように。アーメン。)”

祈祷が終わると、俺たちは静かにクリスマスの料理を食べた。


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