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黎明学園の吟遊詩人
【ファンタジー その他小説】

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陰謀と恋心──三浦涼子の誘惑 -2


 両手で支えるように良く滑る襖を音もなく開く。これも正しい私なのだから。そのまま座敷に進む。二十畳はあろうかと思われる祖父の書斎は純和風だ。飾り気のない机の前に湯飲み茶碗を傍らにした祖父は長い白髪を後に纏め、長い髭を垂らして座っている。くん、と鼻を突く香りが臭う。
「お爺さま、それはまた般若湯ですか」
「解るのか」
「多分レミーマルタンの十三世かと思いますが」
「当たりだ。老い先短い者のささやかな愉しみじゃよ」
「お医者様に止められているのでは」
「儂に『様』とつける相手はこの世にいない。医者とて下僕だ。そもそも『仕事』などというくだらん行動に明け暮れる不埒者の意見なぞに従う必要は無い。お前も本来なら学校なぞ行く必要もないのじゃがな」
「最高学府まで極めて下りませんと下賤の者に舐められますので、今のところは臥薪嘗胆の心持ちでやっておりますゆえ」
「はっはっは。良い心がけじゃ」
 そう言いながら仏蘭西の般若湯をすする。
 三浦家当主、邪気は莫大な力を持つ要人だ。「邪気」とは妖しい名前ではあるが、邪気の生まれた時代は邪気の父にとって、日本は忌まわしいものであり、それを打ち倒す願いを込めて付けられた名前だ。事実、恐怖を持って恐れられるに足る立場に於いて結果的に大いに役立った。祖々父は賢明であった。過程など結果の前には儚い物である事を涼子は知っている。
「ところで、お前、薫と約束していたのではないかな?」
「はい。その通りでございます」
「もう三時間は西の離れに待たせて居るが、あやつも多田製薬の第二開発部門長じゃ。忙しいのではないかの」
「それと私が待たせるのとなにか関係がございますか?」
「薫・スチュアート、混血の下賤じゃが、見てくれは良い男じゃないかの。それにしぶとく、狡猾な所は儂も買っておるのじゃがなあ」
「男は女を待つもので、女は男を待たせるものです」
「わははは。男は堪らんなあ」
 邪気は傍らから葉巻を取り出すと剃刀でフラット・カットする。昔ながらの燐寸で火を灯すと、芳しい香りが漂った。
「お爺さまが葉巻をお吸いになると、私はすぐに湯浴みせねばなりません」
「良い良い。どうせ薫も今頃燻製になっておるじゃろう。あやつの好みはパイプにキャプスタンのネイビーカットじゃ。纏めて湯浴みで洗い流せばよい」
「その、薫のことは『特例遺伝子解析チーム』の責任者として私は理解しております。そちらは順調なのですが……『遺伝子保護法案審議委員会』の方が牛歩と申しますか、どうにも歯がゆい状態のようで。お爺さまから何とかなりませんか」
 ううむ、と邪気は唸り、般若湯をすする。
「無能な者ばかりを集めすぎたかの。無能なほど良いかと思ったのじゃが、考え違いだったのかも知れん。何とかしてみよう」
「では、よろしくお願いします。わたくし、薫の方にこれから顔を出そうと思いますので」
「そうしてやりなさい。これ以上は不憫じゃ」
 涼子は立ち上がり、丁重にお辞儀をし、襖のそばで膝を折って再び面を下げて襖を閉じた。
 立ち上がった涼子は西の離れに向かう。西の離れまでは10分は歩くだろう。
 竹林をくぐり抜ける廊下を歩きながら、涼子はある「世界」の事を考える。あの下らない『影』のことを。しかし、あの『影』では彼女の理想を組み立てつつある。愚民共に無駄な電気を使わせず、愚かな女達を管理し、最小限必要な女だけに社会的な仕事をさせる。
 男達には特に優れた者だけに「あれ」を使わせる権利を与え、事実上の私兵として使用権を独占する。大体上手く事は運んでいる。まだまだ問題は多いが、大勢は決したと言っていい段階にまで漕ぎ着けた。
 しかし、定期的に様子を見に行かなければ、とも思う。女王として、神として、象徴としての力を見せつけなくては「世界」は維持できない。
 心の中でスケジュールを考え、組み立てる。紙や電子的な媒体は必ず綻ぶ。心の闇に隠しておくことだけが帝王の条件であることは古代から変わらぬ定石だ。
 そのスケジュールの中のこれからの事に思い当たる。
 薫・スチュアート。長めのジャギーカットの輝く黄金の髪、妙齢の女性のような端正な風貌と透き通るような碧眼。待たせれば待たせるだけ、彼は私の物になる。私のことしか考えられなくなる。だから、可能な限り待たせてやる。そして、話は出来るだけ手間暇をかけて沈黙の時間を多くしてやる。私しか見られないように。
 歩きながら涼子は豊かな胸のボタンをふたつ外し、少しだけブラウスを着崩す。
 私のことしか見えないように。
 私のことしか考えられないように。


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