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母子相姦のある風景
【母子相姦 官能小説】

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第二話 廃家とザクロ-1

たとえば古民家に暮らす一人暮らしの老人がいたとしよう。
その内に老人は病院に入るか孤独な死を迎え、誰も住まなくなった家だけが残る。
古い建物はともかく土地は財産だから相続は誰かしらになされているはずだが、老人がいなくなったことを誰も気づかないかのように、ただ建物だけが存在し続けて数十年にもなる光景が僕の住む近所ではしばしば見かけた。
窓がひび割れ壁も剝がれかけていて、屋根の隙間から草が伸びており、夜に明りが灯ることも決して無い。
明らかに誰も住んでないのにまだかつての生活の面影はかすかに残している家。
そんな建物を見ていると最後の住民が何者で何を思いながら晩年を過ごしていたのかイメージすることがよくある。

本当に勝手な想像なのだけれどそういう時、最後に暮らしていた人は近親相姦者だったんじゃないかと考えることがよくある。
それも母子で、男なら長年の近親相姦関係の後に生き残った息子の側だったんだろうと思うし、女性なら息子に先立たれてからも長生きしたんだろうと思う。
そうであってほしいという希望的観測より確信に近い感覚でそうだったんだろう、という風に思えて仕方ないのは、何となく一人残された住民の晩年が寂し気に見えるからだ。
誰も住まなくなった廃家の庭に残された色あせたジョウロや割れた窓から覗く古いロッキングチェア、閉めたままになっている雨戸や最後の住民が使っていたらしい朽ち果てた手押し車。
そんなかつての生活の残骸が何年たってもやけに生々しく映る。

近所にある個人経営のリサイクルショップは少し変わっていて、二階のフロアの一角がまるで一人暮らしの老人の居間を再現したかのような構成になっている。
わずか4,5畳の広さにブラウン管テレビと灰皿の置かれた小さなテーブルに座椅子があり、傍らには古いラジカセとこれまた古い演歌のカセットテープの入った小さな木製ラック。
どれも年季が入っていて、まるで実際に亡くなった独居老人の部屋からそのまま持ってきたかのように感じる。
店主は昭和のお座敷を再現しようとこんなリアルに並べているかは分からないが、薄気味悪いほど生活感がある。
オカルト趣味は無いが、もし買って帰ったら間違いなく霊が出るんじゃないかとも思うくらいだ。

母と僕とどちらが先に死ぬのかは分からないが、どっちにしてもこの家も何十年か先にはそんな廃家の仲間入りを果たすんだろう。
母の年齢を思うと僕が後になりそうだと思うから、もしもそうなったら庭にザクロを埋めようと思っている。

鬼子母神(きしもじん)の伝説を知っているだろうか。
鬼子母神は毘沙門天の部下夜叉大将の妻である女神にあたる。
彼女には数百とも数千ともいわれるほどたくさんの子供がいた。
しかし鬼子母神は自分の子供を養うために、栄養とするため人間の子供をさらっては食べていた。
人間たちは神である鬼子母神に逆らう事が出来ず、お釈迦様に陳情することにした。
するとお釈迦様が鬼子母神の一番下の子供を隠したため、鬼子母神は必死になってこれを探した。
それでも見つからず、困り果てた鬼子母神がお釈迦様に所在の教えを乞いにやってくる。
するとお釈迦様は自分の子を失う苦しみを知る今こそ、人の子を食う業を止める時だと諭したため、以後、彼女は戒めを守るようになり鬼を捨て子供と安産の神となった。
だから本来鬼子母神の鬼という字は角が取れた意で上部の点を取った特殊な表記をする事もあるという。
鬼子母神像は様々な形態があるが、ポピュラーなものとしては左手に幼子を伴い、右手にはザクロを持っている姿だ。
古来からザクロは人の肉の味がするという伝説があり、鬼子母神はザクロで人肉を食す代用としているという俗説もある。

ザクロは鬼子母神の象徴でもある。
もし僕たち親子がいなくなっても廃家の庭にザクロが実っているのを見れば勘の良い者が気づくかもしれない。
かつてこの家に住んでいた親子が近親相姦という所業をしていたと。
もっともそれがいつの事になるか、僕には想像も付かないけれど。
そんな事を母が剥いたザクロの実を食べながら思った。



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