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【母子相姦 官能小説】

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前篇-1

今から話すことは私と私の母について10代から今に至るまで断片的な事柄の数々だ。
別に私は人に理解を求めるつもりもないし、それについて精神科医に相談するつもりもない。
とあるひと組の親子の人生の軌跡に過ぎないことを理解して欲しい。
一つ一つの出来事やその時々の記憶、心はスムーズに思考で整理できるようなものでもない。
現実に今私とあの優しかった母を思ってみても母子相姦に落ちた自分たちが信じられないような思いがある。
なぜ自分たちがそこに至ったのだろう。
どんな関係を持ったにしても私と母が親子であることは変えようがない。
そこが他の異性と親子が一番違う点でそれだけは永久に変えられない真実そのものだ。
今更別に自分たちを正当化するつもりはない。
私は望んで実の母親と関係に至った。
今、思い返すと母親という一面と母親の持っていた女性としての一面の両面があることに早い段階で気づいてしまったことが良くなかったのだと思う。
母親の持つその二つの中の一面がふとしたきっかけで翻ってしまい、普段は見えない隠れていた裏面の存在を知ってしまったのだ。
世の中の女性は大抵表裏の両面が存在するものだが、幼い子供が我が母親の両面を窺い知る機会などそうはない。
母親の女としての一面を垣間見ることなど日々の生活の中ではなかなかないだろう。
私の場合両親の夜の夫婦生活を通して母のもう一つの一面を知ることになった。
どんな家庭にも親と子供がいれば、必ず夫婦という大人の領域と子供の領域の二つがある。
両親の性が子どもの知るところになってしまえばその家族内の領域の境界線が曖昧になるのは必然だろう。

私にとって両親の夫婦生活は幼いころから身近なものだった。
「何をしているんだろう」という好奇心と「今は自分が行ってはいけないとき」と無意識下の抑制が入り混じった奇妙な思考経路を幼年期の夜の思い出として今も覚えている。
両親の夫婦生活があれほど身近でなければ、私はおそらく母親に性を感じる機会はなかっただろうと思う。
そうなれば母親と関係を結ぶような事はなかったと思うし、もし母親と結ばれてなかったら私も今とは違う私になっていただろう。
しかしどちらが私にとって良いことだったかはわからない。
どんなに考えても答えが出るような問いではないからだ。

何冊もの古いアルバムがある。
表紙には私の名前とともに父の字で「誕生」「幼稚園」「小学校」‥と書かれている。
それぞれの時代を切り取った一葉が幾重にも重なって私たち家族のその時の時間を映している。
「誕生」と書かれたアルバムを取り出してみる。
1ページ目の1枚目にはまだ病室で産まれた間もない私を抱いて優しい眼差しで見つめる母が映っていた。
病院を退院して初めて家に来た時の私、ハイハイし始めた私、つかまり立ちする私‥。
どの写真も私と母が映っていた。
カメラ越しに見ているのは全て父だろう。
他のアルバムもめくってみる。
僅かに記憶にある遠い昔の旅行先、七五三、小学校の入学式‥。
その時々の私たち親子の写真があった。
カメラマンはいつも父だったのでほとんど私と母のみ映っている。
少し話は変わるが私が小学校に入ってから私は両親と違う部屋で寝るようになった。
廊下を一つ隔てただけだったので二人が何か話していると内容はわからなくても、起きているかどうかくらいはわかる。
既に私は低学年の間にその声に二種類あることに気づくようになった。
なにかを話しているような普通の会話と、苦しそうな二人のうめき声だ。
それが何かはわからなかったが、外から聞こえてくる電車や救急車の音と同じように両親の低いうめき声は「いつもと変わらぬ夜の音」のように何気ない日常音として慣れていった。



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