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『ティースプーンの天秤』
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『ティースプーンの天秤』-5

大学時代の大部分、僕は大体自分の部屋にいるか、サトウの部屋にいるかのどちらかだった。しかしいずれにせよ代わり映えのない日々ではあった。有害でも有益でもない穏やかな日々。今日をゆっくりと飲み下していき、それに飽きると、明日を迎えるために眠った。けれど結局のところ昨日と今日の間の味の違いなど、プロのソムリエでもなければ見抜けないほどのものだった。それでも僕は構わなかった。その日々の中で僕は、何も手に入れない代わりに、何を手離すわけでもなかった。僕はそれまでの間に様々なことを失ってきたし、色々なものを踏みつけてきた。そんなことはもううんざりだったのだ。人生には、それがどのくらいの期間であれ、そういったふうに感じ続ける時期があるものだ。僕はそれが酷く長く、濃かったということだ。
そのような日々でありながら、僕はやはり、多くの20代前半の青年たちがそうであるように、自分の現在や未来についての不満や不安も抱えてはいた。
しかし、何か問題に突き当たった時、僕はほとんど人に相談というものをしなかった。今でもしない。大抵の事は一人で考えれば結論が導き出せると思っていたし、事実そうだった。でもそれ以上に、どこかで他人を見下していたからだ。自分に答えの出せないようなことを、他人に考えさせたところで答えなど出るはずがない。高校生のころまではそう真剣に考えていた。だからその時は、相談をしないということが自分の長所だと思っていた。そして、そうするうちに、僕は誰かに何かを相談するということができない人間になってしまっていた。しかし十代の終わりごろになると、僕はそれをひどく厄介なことだと感じた。それを長所だとして受け入れていた自分が馬鹿らしくなった。そして結局はその性質を短所として受け入れることになった。
他にもたくさんある。十代の頃長所だと思っていたことが、短所だと感じるようになった。短所だと思っていたことが長所だと思えるようになった。というようなこと。
しかし、その短所のほとんどはそのまま短所として僕の中に染み付いたままだった。
そのようにして、十代の終わりから二十代の始めにかけて、僕というものは中身を全く変えることなく、向きだけを反転するといったような形で変わった。

そんな21歳の僕ではあったが、サトウに対してはよく色々なことを相談した。彼は僕よりも明らかに僕よりも頭がよかった。本当の意味で頭のいい人間だったのだ。サトウに対しては負けを認めていた、とも言えるかもしれない。そんなわけで、僕は彼の前では少なくともひとつの短所を失うことができたということだ。

兄のことを話したのも、身内以外ではサトウだけだ。そもそもは、一つの夢がきっかけだった。こんな夢だ。


夢の中で、僕は縮んでいた。正確に言えば、そこにいる僕は4歳か5歳くらいの僕だった。
立っている場所は、堤防の先だ。海も、空も、さらには足元の堤防の色も、自分の服も、全てが青だった。完全な青の世界。しかしそれは少しも非現実的ではなく、むしろ青こそがそこにある全ての然るべき色であるようにさえ思えた。僕は4歳か5歳の僕であり、21歳の僕だった。僕は小さな僕の目を通して青を見渡し、21歳の僕の目を通して小さな僕を見ていた。
そのうち僕はこれが思い出の風景であることに気付く。それと同時に小さな自分の右手に、大きな手が握られていることに気付く。ああ、やっぱりここは思い出の中だ。
僕はこうして堤防の先で、祖父の手を握って青を眺めている。
そう、指が細長くて、形のいい、色白の手。
色白の手?
そこで僕は異変に気付く。
この手は一体誰の手なんだ。
祖父の手ではない、でも僕はこの手を知っている。
やめろ。
僕は思った。
ここはあんたの場所じゃない。
でも小さな僕は気付かない。気付かずに顔をあげてその男の顔を覗き込む。
やはり、それは兄だった。
いつの間にか小さな僕は19歳の僕になっていた。
やめろ、ちがう。
ここはおまえらの場所じゃない。
21歳の僕は叫び続ける。それは空気を震わせることなく周りの青にただ吸い込まれる。ここでは21歳の僕はただ見ていることしかできない。
「あまり飲みすぎるなよ。」
兄がそう言って、19歳の僕にミネラルウォーターを渡す。


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