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例えばこんなカリキュラム
【二次創作 官能小説】

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〜 数学・演習 〜-2

 例えば『極限』の時間。 腸内にゴムバルーンを押し込まれ、バルーンの口にポンプが繋がった状態で、私たちはイプシロンデルタ論法やイプシロンエヌ論法を駆使する。 発散、あるいは収束する無限の数列に想いを馳せるうちは、肛門を拡張する巨大な風船のことなど考えるなんてもっての他だ。 空気を送られて膨張し続ける風船を止めるには、正解に辿り着くしか術はない。 膨らみながら腸の奥へ奥へと侵入するゴムの感触に脂汗を滴らせながら、けれど表情は眉ひとつ動かさず、私たちは『lim』の無限を取り扱う。

 例えば『微分』の時間。 微分方程式まで扱う私たちは、鞭の雨に撃たれるだろう。 肌に弾けるバラ鞭の小気味よい響きをBGMに、方程式の次元を下げる試みに邁進する。

 例えば『積分』の時間。 高次のパラメーターを求めるために、垂れる蝋燭をものともせず、誰もが粛々と一次式を面積に換算する。 蝋燭を受けとめるために舌を伸ばし、或は上半身を限界まで反らして肛門を真上に向け、無理な姿勢をとりながら鉛筆を動かす。

 例えば『双曲線』の時間。 2点からの距離が等しい図形を扱うということで、クリトリスや乳房は勿論、耳から鼻から脇から指からお尻まで、あらゆる場所に洗濯ばさみを装着してから演習に入る。 ときおりふりおろされるビンタでもって同時に2つ、洗濯ばさみが飛ばされるのだが、肌ごともっていかれそうになる刺激を微動だにせず堪えてこそ、数学に取り組む正しい姿勢だ。

 例えば『自然対数』の時間。 自然数eのように、円周率π同様の答えがない数字連中は奥が深すぎて始末が悪い。 延々途切れることのない性欲をもつ、という設定に殉じなければならない私達は、ぐにぐにと膣に指を3本つっこんで掻き回しながら、対数の計算を試みる。 1問解くごとに1回絶頂しなければならないため、平静を保つのは至難の業だ。 特に絶頂直前に指を激しく動かすときなど、余程集中しなければ思考が彼方に飛んでゆく。 そこを踏ん張って計算してこそ、数学に対する真摯な姿勢が評価されるというものだ。

 
 ……。


 刺激自体はキツくて辛い。 けれど、それに負けずに数学している自分は偉いし、かっこいいと思えなくもない。 問題が解けるようになるのも楽しいし、教科自体だって取り組んでいて楽しいと思う。 数学は他の一般教科と違って未来に続いているから、授業時間が早く過ぎる。

 何が違うか改めて考えてみた。 きっと『性的刺激』の位置づけが一番大きな違いだろう。 一般教科では往々にして『目的そのもの』になるのが『性的刺激』だ。 つまり、数学以外の時間では、性的刺激に身を委ねることが場合によって奨励される。 一方数学における性的刺激は、数学への集中力を確かめ、高める手段だ。 性に埋没することは数学に背を向ける行為とみなされる。 
あくまで数学に取り組みながら、淫らな欲望、不埒な刺激に性感を得つつ、心は数学に向けながら過ごすわけだ。

 ただ、感覚と思考の乖離(かいり)は、一種のロボット化のような気がしないでもない。 数学に取り組んでいる間は気にならないけど、後で振り返ると妙な悪寒で背筋が寒くなることがある。

 実際身体中を這いまわる刺激の中で数学に取り組んでいると、束の間、まるで本物の機械になった気分がする。 自分の感覚を切り離し、自身を労わることを忘れ、唯々諾々と与えられた課題に取り組む機械のパーツ。 ダラダラと膣液を溢れさせ、それでも顔色一つ変えずに問題を解く私達の姿は、少なくとも体温と知能を備えたヒトとはいえないんじゃないだろうか?

 ……だからといって、私達の力を伸ばしてくれる17号教官の授業に、背を向けるつもりは毛頭ない。 何しろ教官の説明は分かり易くて、板書は見やすくて、問題演習のレベルもピッタリだから。 だから、どの分野にしたって、どんな辛い刺激があったにしても。 私たちは胸を張って『数学という科目が大好き』だって言えるんです。

 


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