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王国の鳥
【ファンタジー その他小説】

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アールネの少年 4-4

 アールネは資産の潤沢な国家ではない。
 両手指に満たない数の艦隊は、アールネ海軍の戦力の大部分であるはずだ。それだけの戦力を投入するに値するだけのどんな見返りをこの戦争で得られると、アールネが考えているかは少々謎だった。
 アハトはあまり人間社会に興味を抱かない方だが、各個人はともかく、少なくとも国家は利益効率を追求するものと理解していた。学んできた人の歴史が、それを物語っていたのだ。
 だが、軍事国家であるアールネが、もっとも重要視するべき戦力の一端を担うであろうエイを積極的に切り捨てようとした時点で、その認識には齟齬が生じている。
 強権的な統治者が国益よりも個の欲望を重んじて自滅するケースは確かにいくつか覚えがある。
 だがこの場合、アールネ公をそうした資質に欠ける人物だと済ませればよいのかはまだよくわからなかった。
 弟のエイは……彼は、奇妙な人間だ。
 アールネ公について、判断をくだせない理由は彼にあった。エイを切り捨てたのは、ただの私情による判断ミスではない、そんな可能性が捨てきれないのだ。
 エイが悪人ではないのはわかる。穏やかな気質のようだし、権力欲も出世欲もなさそうだ。癇性も見受けられず、きわめて我の弱い、従順で扱いやすい人間のように思われた。
 だが彼を、危険ではないと断じることがアハトにはなぜかできなかった。
 シェシウグル王子を傷つけるとは思わない。そういう意味の『危険』ではなく……

 剣をふるって闘う間、彼が何を見、考えているのかわからなかった。
 あの剣は確かにシェシウグル王子の胴体を両断しようと意図されてはいたが、彼の表情には殺意も悪意も、恐怖も歓喜もなかった。
 ただそこにある何かを、切り落とそうとするだけの動作。
 それでは人は、ただの器だ。内臓と血管と骨と皮膚とで構成された物体だ。
 ツミによる治療は壊れた人体を元の形に外部からの『力』でもって組み立てなおす作業であり、そのとき彼らは人体を、それこそ複雑に入り組んだひとつの構造体ととらえている。
 だがそんな彼らでさえ、人の“意”を無視はできなかった。人は言葉を介して相互理解しうる、近しい生き物なのだ。
 他の、思索を知らぬ動物と同じようには扱えない。
 それは慈悲とは別の感情だった。言うなれば錯覚だ。ツミは人を力弱いツミと感じ、人はツミを力ある人ととらえる。
 本質は同じものであるという大きな誤認。ツミはどこまでもそれを捨てられない。
 だがエイは、れっきとした人間でありながらその認識を捨てていた。
 少なくとも、アハトにはそのように見えた。自分が誰を……何を、斬っているのか、理解できていないのではないか、と。
 わざわざ変化して止めに入ったのは、その一瞬に走った、奇妙な戦慄のためだった。
 彼を人でなく、小さなツミのように錯覚したのだ。実体だけの人間態では、王子を救えないかもしれないと、そう感じた。
 ツミのアハトの目に、それは人として異質、あるいは欠陥があると映った。
 シェシウグル王子も気付いただろう。あの王子は妙に人心に敏い。心に踏み込むことに遠慮がないとも言えるが。

 アハトの思索に割り込むように、球状の膜の中から幼い声が響いた

「ねえ魔法使い。お船、もっと近くでみたい」

「い、いけません!」

 無邪気にねだるセリス王子を、セギュンの悲鳴のような声が遮った。
 セリス王子はそれらが自分を捕えていた敵軍の艦であることを、どうもわかっていないようだ。
 見て、と侍女を促すが、彼女は王子の命に背き、頑なに上空を睨みつけるばかりである。
 なぜ彼女が下を向こうとしないのか、理解できない様子でセリス王子は首をかしげた。
 高所すなわち墜落という連想は、人生経験の足りない幼児にはまだ生まれえないものなのだろう。
 二人がもみ合う間にも一行は海上を進み、軍艦の灯りも北ナブフルの陸地も急速に水平線に沈んでいった。

 晴れた夜の星明りが淡く海面に反射する。
 かわり映えのしない風景にセリス王子が飽きてあくびをしだした頃、進行方向に複数の島影が出現した。
 水平線から突端をのぞかせたと思ううちに、みるみる近づいて群島地帯の全景をあらわにする。
 一番大きな島の上空にまでさしかかったとき、アハトはなぜか胸が騒ぐような心地にとらわれて、早く通り過ぎようと飛行速度を上げた。

 全域に木々が鬱蒼と茂り、そこだけぽっかりと開けた中心部に巨大な建造物の影が見える。
 何の変哲もない島だ。なぜ意識が向いたのかとアハトは内心首をかしげた。
 強いて挙げるならば、人間が害獣避けに使う香が焚かれている場所に似ている。さほど不快な臭いというわけでもないのに、あまり近づきたくなくなるような……そこまで連想してから、彼はもっと近い感覚を思い出した。
 セリス王子がセギュンの手を引いた。

「セギュン、セギュン。カミナリ島の火がきえてる」

「こ、国王陛下がおかくれに、なられましたから……」

 侍女は震える声で答えた。

「神生り島の火は、治世を言祝ぐ火。国に王がおられぬ間は消えたままなのです」

 聞きながら、アハトは得心した。
 あの島々は神域なのだ。ツミと魔族の忌避する磁場を形成する地。
 アハトの感覚では、一帯の群島を大きく囲む歪な形で海上に結界が引かれている。
 ロンダーンが神域に神殿を置いて祖神信仰の象徴としているように、北ナブフル王国でも王権の保障としての信教の場をそこに重ねているのだろう。

「セリス様が国王にご即位される日に、また火が灯ります。どうかそれまで、息災に……」

 セギュンは幼い王子の目を見つめながら、祈りのようにそう囁いた。

「おれが、王になる日……」

 きゅ、とセリス王子は唇を引き締めた。


※※※


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