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王国の鳥
【ファンタジー その他小説】

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アールネの少年 4-1

 彼ら一族にとって、人間の城に侵入するのは簡単なことだった。
 あまりに簡単で、人とツミの関係にとって致命的な問題になりかねないので、彼らは自らにそれを禁じているほどだ。
 ごく緩い、罰則も用意されていない程度の掟ではあるが、幼いうちから禁忌として刷り込まれる人間領土への介入行為を、今まさに行なっているという事実はアハトにとって気持ちの良いものではなかった。たとえそれが人間の王子の発案であり、人身救助という立派な名分があってもだ。
 あの王子は、ツミの掟を知る数少ない人間の一人のはずなのに、アハトにそれを破るようなことを平気で強いる。
 だが、本当に嫌ならば、人がツミに対して強制できることなどないことも彼は知っているのだ。知っていて命じ、好き勝手に振る舞う。……まるで、アハトが一族の者が思うほど掟に忠実なわけではないと、わかっているような顔をして。
 だから嫌いなんだ。アハトは内心で、今日何度目かの悪態をついた。

 城内外を固める黒い甲冑の兵士たちの会話から割り出したセリス王子の居室は、窓が一つあるのみの高い塔にあった。

 当年五歳になるセリス王子は、寝床に入ろうとあくびをしながら部屋の灯りを消して回っているところだった。
 窓が開いて黒い鳥がバサバサと羽音をたてて舞い込んだ、そこまでは彼はさほど驚かなかった。
 錠のかかった窓が音もなく開かれた不自然さに気付かぬまま、歓声を上げて天井近くの梁にとまった鳥に手を伸ばそうとひとつ飛び跳ねた、そのタイミングでアハトは人間態に変化し、幼児の目の前に降り立った。

「北ナブフルのセリス王子だな?」

 手を上に伸ばしたポーズのまま、大きな目をいっぱいに見開いて、ついでに口をぽかんとあけて、全身で驚きを表現している幼児に、アハトは穏やかな声音で話しかけた。
 幼児は彼をじっと見つめたまま、こくんと大きく頷いた。アハトも小さく頷いて見せる。
 セリス王子はおずおずと彼に質した。

「おまえ……魔法使い?」

「ああ。似たようなものだ」

 アハトは適当に肯定した。人為とは異なる力が必要とされる場面で、彼らがたまに詐称する身分だ。

「ロンダ―ンの王子に遣わされた。あなたをこの城から連れ出す」

「ほんと?」

「本当だ」

「ロンダ―ンの、王子さまが?」

「そうだ」

「父上がいってたよ。もうすぐ、ロンダ―ンのおひめさまがくるって。なかよくしなさいって」

「そうか」

 アハトは頷いた。
 シェシウグル王子の妹であるミルハーレン姫が北ナブフルを訪れる予定になっていたのは知っている。程なく出発するというときになって、王の急死とアールネの侵攻が伝えられ、そのまま予定は中止となったのだ。

「姫は来られなくなった。代わりに姫の兄上が来たんだ」

「あにうえ? ふうん、そうなんだ」

 幼児は得心したふうに彼を見つめた。
 なおも何か問おうとした王子を、アハトは遮った。

「わかったら早く用意をしろ」

 彼はアハトのぞんざいな態度に面食らったように目を瞠ったが、不快を示すことなく、一拍置いてすぐに弾かれたように動き出した。薄い寝間着を脱ぎ散らかし、衣装棚から動きやすい服を取って着込んでいく。
 アハトは何度かせがまれて、幼児の手に余る小さなボタンを留めたり外套の紐を結ぶのに手を貸してやったが、セリス王子は自分で身支度を整える教育はされているようだった。
 着替えの最後に地べたに座り込んで小さなブーツに足を押し込むと、彼はおもむろにベッドの下にもぐりこみ、隠されていた子供用の背嚢を引っ張り出した。
 それを両肩に背負って、暖かそうな、目立たないお忍びの装いが完成した。

「用意できたか」

「うん!」

 セリス王子はどこか誇らしげに、力いっぱい頷いた。

「では出発する」

 これにも大きく頷いて、彼はアハトの差しのべた手をきゅっとつかんだ。扉ではなく窓辺へと導くアハトに疑問もなく、わくわくと期待に満ちた表情で小走りについて行く。

「ね、ね、おれも、鳥にへんしんするの?」

「いいや。あなたは俺が持ち上げて連れて行く」

「もちあげる? あの鳥じゃ、おれ、のれなくない?」

「乗せるつもりはない」

 そう聞いた王子は失望したように渋面をつくった。

「じゃあ、空とばないの?」

「いいや。空は飛ぶ」

 わあっ、とセリス王子は一転、ひっくり返った歓喜の声を上げた。
 アハトが無言で幼児を見下ろすと、彼は騒いだことを咎められたと悟り、慌てて自ら口をふさいだ。確認するように、しーっ、と唇に人差し指を当てる。
 アハトはすぐに変化せず、窓の外をのぞきこんだ。
 王子の寝室は居城の高層階にあって窓側からは歩哨の目に入りづらい。鳥の姿での侵入には光を曲げて姿を隠す必要もなかったが、子供連れとなると考えねばならないだろう。
 眼下の回廊から城壁に囲まれた中庭をぐるりと眺めていると、つないでいた小さな手が、くい、と彼の手を引いた。


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