その夜の旦那さま-4
「だんなさま、だんなさま……あいしてるの……」
カミルの首筋に顔を埋め、肩を震わせてディーナが何度も繰り返し呟く。
いつもの、少しあやふやな敬語もすっかり忘れたらしく、呂律の回らない舌で、たどたどしい言葉を紡ぐ。
「ひっ……ぅ、わたし、よくばり、なの……ぁいしてるって……だんなさま……独り占め、したい……言って……きらわれるの、いや……だから、一生けんめい、お仕えするの……っく……でも、あいしてるの……ごめんぁさい……」
ディーナの告げる前後不覚な言葉を、カミルはよく聞いて、考え、噛み砕き、咀嚼した。
信じられない気分だった。
だが、もう一度間違える気はない。
「……馬鹿が」
呟いて、いっそう強くディーナを抱きしめる。
「俺も、お前も……お互いに、まだ信用してなかったんだな……」
それにもう一つ、互いに卑屈な思いを抱えていたせいもあるだろう。
ディーナは虐げられた経験から。カミルは吸血鬼という己の種族から。
愛されたいと渇望して期待する半面、自分が本気で愛されるわけはないとも思っていた。
だから、曖昧な一言や自分の想像で勝手に解釈し、間違った行動を示して互いに傷つけあう結果になったのだ。
「っふ……ぁ、あいしてるの……だんなさま……っ、はぁ……」
「……ああ。よく解った」
濡れた頬を両手で包み、そっと唇を合わせた。媚薬に侵された蜜壷が妖しくざわついて、欲望を吐いたばかりの雄をまた昂ぶらせる。
「ディーナ……」
ありったけの想いを篭めて呼び、その先をカミルはまだ口にしなかった。
もう二度とあんな思いをするのはごめんだし、ディーナにもさせたくない。今度こそ、絶対に誤解されないように告げるのだ。
そう決心し、すがりついてくる身体を抱き返しては、媚薬の効果が切れるまでひたすら快楽を与え続けた。
その夜、ディーナから愛を告げられたのは数え切れないほどの回数で……どれほど聞いても飽きなかった。
***
そして、五日後。
床に飛び散った銀貨と、震える声で別れの挨拶を告げようとするディーナを前に、カミルは激しく動揺していた。
―― なぜだ!? 散々考え抜いた計画は、完璧だったはずなのに!!
「待てっ! 最後まで聞け!!」
カミルは悲痛な叫びをあげて、ガクガクとディーナを揺さ振る。
これほど必死になったのは、長い生の中でも初めてだったかも知れない。
だが、必死になるのも緊張するのも、無理はないだろう。何しろカミルはこれから、もっとも吸血鬼らしくない言葉を口にする予定なのだ。
―― 吸血鬼が真に愛する相手という、そもそも最初から存在しない……名前の無い関係になってくれと、カミルがディーナに申しむのは、この数分後である。
終