名前の無い関係-1
―― 五日が経った。
思ったとおりカミルは、リアンの壊れた鎖帷子に、気を悪くすることはなかった。
むしろ、壊れた経緯を聞いた彼は少し嬉しそうに見えたとリアンは言い、それはきっと気のせいではないとディーナも思う。
何しろカミルは、鎖帷子の修理を無料で引き受けたばかりか、修理が済むまでここへの滞在が延期できるよう、リアンの所属組織へ頼んでくれたのだから。
アルジェントの人狼を倒したのは私情とはいえ、結果としては夜猫の大きな加勢になったと、頭首からも口ぞえして貰えたそうだ。
そして今日、新品同様に修復された鎖帷子を無事に受け取ったリアンは、工房を出ると振り返り、ディーナへ笑顔を向けた。
「困った時には、いつでも呼んでくれよ。俺はずっと、ディーナの味方だから」
その笑みは、ほんの少しだけ寂しそうだったけれど、彼が心底からそう言ってくれているのが確かに感じ取れて、ディーナは鼻の奥がツンと痛くなる。
「ありがとう……本当に……」
こみあげそうになる涙を堪えながら、ようやくそれだけ言えた。
たった一欠けらのパンを、彼はなんて大きな幸せに換えてくれたのだろう。
金色がかった午後の陽光の中を、リアンの姿が遠ざかっていき、その姿が木立に阻まれてすっかり見えなくなるまで、ディーナはずっと見送っていた。
すぐ後ろの、日除けが守るギリギリの場所で、カミルも静かに立っている。
やがて、ようやく気の済んだディーナは家に戻り、厚い扉を両手で引っ張って閉めた。
外はまだ夕暮前でも、陽射しを完全に遮った家の中は、ランタンが柔らかく照らしている。
いつでも夜のようなこの家に、最初はとても奇妙な感じがしたものだが、今ではすっかり慣れた。
そろそろ夕食つくりに取り掛かるべく、ディーナは台所に向かう。
しかし、不意にカミルが目の前に立ちふさがったので、危うくぶつかりそうになってしまった。
「お前に……話す事がある」
やけに重々しい声音と、なにやら緊迫した雰囲気に、ディーナはたじろぎつつも尋ねた。
「は、はい。何でしょうか」
ところが。
「あー、少し待て。もう一度手順を確認する」
カミルは急にそんなことを言うと、ポケットから折りたたんだ紙を取り出し、ディーナへ背を向けてコソコソと眺めはじめた。
そしてしばらくボソボソと独り言を呟いたり頷いたりした末に、ようやく紙をポケットに戻し、ディーナへ向き直ると気まずそうに咳払いをした。
「まずは……夜猫と新しく契約を結んだ。お前がまた妙な奴に目をつけられないか、今後は街で気を配って貰う」
思わぬ言葉に、ディーナは眼を丸くした。
「ベッタリ張り付くわけじゃないから安心しろ。たまに夜猫の連中から、挨拶程度に声をかけられるくらいだ。普通に接すればいい。それで……」
「ま、待ってください! 旦那さま!!」
ディーナは咄嗟に、カミルの話を遮ってしまった。髪が全部逆立つ思いだった。
「新しい契約って……もしかして、旦那さまっ! 夜猫さんと、専属契約を結んだんですか!?」
あの事件の後、グラートの思惑や今回の真相を黙っているわけにもいかずに、ディーナが全てを話すと、カミルはとても深刻に何か考え込んでいた。
守り石も、また新しく作ってもらったものの、これだけでは不十分だったと判明したからには、もう少し手を考えるとも言われた。
その結果、カミルが逆に夜猫の方と望まぬ契約を結ぶ羽目になったとあれば、目も当てられない。
だが幸いなことに、悪い予感は外れた。カミルはあっさりと首を振る。
「これくらいで、そんな要求をされるはずがないだろう。滞在金に鉱石ビーズを数個、上乗せするだけだ」
「鉱石ビーズを……」
その答えに少し安心しつつも、それでも自分のために負担を増やしてしまうのかと、ディーナは申し訳ない気分になった。
すると、表情でそれを見透かされたのか、顔をしかめたカミルから、宥めるように頭をグリグリ撫でられた。
「お前が家事を上手くこなしてくれるから、前よりも多くの鉱石ビーズを作る時間ができている。自分の報酬で身を守っているのだと思え」