選択-2
リアンが指で示したシャツの裂け目から、銀色の綺麗な細い紐のようなものが数本垂れている。
淡い緑色の光粉をかすかに散らしているそれは、よく見ればとても細く美しい鎖だった。
リアンがカミルに依頼したものが、この鎖なのだろうか。
目を見開くディーナへ、リアンが苦笑した。
「俺はすぐ焦るし隙が多いから、せめて防具で補えって、親方たちからこれを勧められたんだ。アラクネの鋼繊維に、発光鉱石の粉を混ぜた鎖帷子《チェインメイル》なんて、造れるのはカミルくらいだろうな。アルジェントが欲しがる腕前のわけだ」
それを聞いて、よくやくディーナは気がついた。
今まで、カミルがつくったものは武器しか見たことがなかったけれど、彼は『武具師』なのだ。素晴らしい防具だって作れるはず。
そして彼は、夜猫やアルジェントの仕組みをディーナに話さなかったように、リアンの職業も知らせずに、世界の暗い部分から遠ざけたかったのではなかろうか。
だから、これが出来上がった時に、ディーナにあえて見せなかったのかもしれない。
何しろあの時カミルはまだ、ディーナがリアンの職業を聞いたと、知らなかったのだから。
「サンドラ姐さんが、夜猫の連中と組んでここを包囲したから、もうそろそろ下に降りても大丈夫だ」
壊れた戸口を振り仰ぎ、リアンが言った。
それでようやく気づいたが、さっきまで続いていた廊下の大騒ぎが、いつのまにかすっかり静まっている。
「夜猫の頭首が、ちょうどこの街に来てて助かった。ここの元締めと話し合いにきたらしいけど、サンドラ姐さんにこの件を聞いて、潰す方向に決めたってさ……といっても、どっちにしろ最終的には潰しただろうけど」
夜猫頭首の話し合いって、宣戦布告も同然だから……と、リアンは肩をすくめて見せる。
そして、千切れた細い鎖をリアンは指先で摘み、少し眉を下げた。
「奇跡的に勝てたけど、ここに雇われてた人狼オッサン、すげぇ強くてさ。せっかく造ってもらったのに、いきなり壊されちまった。カミルは怒るだろうな」
「……ううん」
喋るのも辛かったが、ディーナは懸命に首を振った。
「旦那さまは……きっと、怒らないと思う……」
カミルは自分の造るものに誇りを持ってはいても、綺麗なガラスケースにしまって大事に飾られるなど、決して望まない。
「……前に、言ってたの。自分の武具を、本当に必要とする相手だからこそ、全力で造れるって……どんな武具も、いつかは壊れるんだから……最高の壊れ方をして欲しいって」
今のリアンを見れば、彼がディーナを救うために、命がけで戦ってくれたことはすぐに解かる。
そんなリアンを、カミルは絶対に責めたりしないだろう。
しかし、それを聞くとリアンは、ホッとするどころか、まるでショックを受けたように眼を見開いてから、思い切り顔をしかめた。
「あいつ、思い切り反省するべきだ。ディーナはこんなに、あいつの事を理解してるってのに」
「……?」
リアンの呟いた意味を、詳しく尋ねたかったけれど、全身に渦巻き続ける熱に鼓動が大きく跳ねて、声が詰まった。
「ディーナ!? さっきから様子が変だと……他にも何かされたのか!?」
身体を丸めて呼吸をいっそう荒くしたディーナに、リアンが驚愕の声をあげる。
「っ、はぁ……だ、い丈夫……薬を、注射……朝には、はぁッ……抜けて、残らない……て……ぁ、はぁっ……」
「薬ってまさか、ヴァンピール・アレッターレ……?」
グラートが言うに、裏社会では有名な薬らしいから、リアンも知っていたのだろう。
これ以上、媚薬に苛まれた顔を見られたくなくて、ディーナはシーツに顔を埋めて小さく頷く。歯を食いしばってシーツを固く握り締めた。
淫蕩な欲求に、理性が霞みかける。疼き続ける熱を何とかして欲しいと、自分から縋ってしまいそうで怖い。
そんな事は絶対……少なくとも、自分へ純粋な好意を向けてくれるリアンにだけは、してはいけない事だ。
リアンが息を呑む気配がし、短い沈黙のあとで掠れた声がした。
「その薬は、解毒薬がない……効果が切れるまで、抱かれて気を紛らわすか、我慢するかなんだ」
硬く眼を瞑ったディーナに、リアンが身を寄せる気配がした。
「ディーナ……愛してる……」
逞しい腕が、ギシリと寝台を軋ませる。
頬に吐息がかかるほど唇が寄せられて……触れる寸前で離れた。
「だから、もう少しだけ我慢して」
ふわりと浮遊感がディーナを包み、眼を開けるとリアンに抱き上げられていた。
「あの馬鹿……俺が来たときには、まだ姿が見えなかったけど、すぐに来るさ。何しろ、武具師に飽きたら殺し屋になれって、うちの親方たちが引き抜きたがるくらいなんだぜ? 簡単に殺されるわけがない」
「旦那さま……が?」
荒い呼吸の合間から、意外な思いでディーナは呟いた。
カミルが素晴らしい武具師なのは知っているが、それを扱う姿は今までに一度も見たことがなかった。
今頃、ナザリオと部下たちに殺されているのではないかと、考えるのも恐ろしかった可能性をきっぱり否定され、安堵にゆるゆると力が抜けていく。
「ああ」
頷いたリアンは、不意にくしゃりと顔を歪め、泣き笑いのような表情でディーナを見つめた。
「安心してよ。ディーナが本当に欲しい腕の所まで、すぐに連れて行くから」