理解できぬ行動-1
―― ディーナが、ここに居ない。
それこそが、彼女のとった真の行動を表す何よりの証拠だとナザリオに断言しながら、カミル自身も信じられない気分だった。
ディーナは必ず、ここに連れて来られると思っていたのだ。
だから、こうして待っていたのに……。
この街における、アルジェントの拠点や兵力をある程度知っているカミルとサンドラは、寄越された手紙を読んですぐ、ディーナが攫われた先が、この廃屋ではないと見た。
カミルへ交渉を申し込むのに、ディーナを人質にするなど、どう考えても不快さを与えるだけだ。
わざわざ愚行をしたのは、カミルの事を調べて、金だけでは釣れそうにないと思ったからだろう。
よってナザリオたちは、まずディーナを先に餌付けしようと企んだのだ。
脅すなり甘言を囁くなり、なんとしてでも自分達に付くようカミルに頼めと、ディーナに命じるつもりに違いない。
その間に、カミルたちがディーナを探し回ったり、何か勘付いて夜猫の元締めと連絡をとったりせぬよう、あえて誘拐を明言し、拠点から離れた人気のないこの場所でカミルを足止めし、時間稼ぎをする計画だと見た。
そして十分にディーナを絡めとった後で、カミルの所に連れてくる気だろう。
この街の情勢に疎いリアンとて、暗殺組織の一員だ。こういうやり口には詳しい。
それならカミルは素直に廃屋へ行き、自分とサンドラがディーナを探すのが一番だと、賛同してくれた。
廃屋にはアルジェントの部下が待機しているだろうし、カミルがすぐに行かなければ、下手をするとディーナに餌の価値が無いと取られる可能性がある。
強欲なアルジェントの連中が、手間と金をかけて攫った相手を、無駄だったからといって「もう帰っていい」などと、あっさり開放するはずもない。
その身体を売るなり刻むなり、骨までしゃぶって有効活用するはずだ。それは最も避けたい事態だった。
……ただ、通りで別れる間際。リアンは顔をしかめてカミルに言ったのだ。
『俺がすぐに助けだせれば理想的だけど、難しいだろうな。だからアンタは、廃屋にいる連中からディーナの居場所を吐かせて、すぐ助けに行け。ディーナが連中の言いなりになって、専属を勧めに来るわけがないんだから。グズグズ待ってたりするな』
何を馬鹿な、とカミルは思った。
自分は傍から見れば、随分と傲慢に客を選好みする武具師だろう。だが、ディーナはいつも、出来上がった武具に感心してくれるものの、むやみに量産を勧めることもなかった。
武具造りに対する自分の考えを、ディーナは理解してくれているのだろうと、そこは十分に信頼している。
そんな彼女が、単に自分の欲から、カミルにアルジェントとの契約を勧めるわけがないとも。
しかし、脅されたとあらば話は別だ。
身体に傷をつけなくとも、心理的に追い詰める手段は幾らでもある。
ましてやディーナのように虐待経験を持つものなら、少し強く出られただけでも、反射的に服従してしまうはずだ。
それを責めるほど、無知でも狭量でもない。
ディーナがカミルに専属契約を結ぶように求めてきても、脅されて言いなりになっているだけのはずだ。
アルジェントの元締めがどう言いつくろおうと、耳を貸す気はない。連中を殺してディーナを取り返し、気にするなと言ってやれば済むだけだ。
『……こういう連中が、無力な娘一人を屈服させられないと? 本気で言っているなら、認識が甘すぎる。お前の所属場所も、そんなに生ぬるくなかったと思うが。今は違うのか?』
二百年以上も生きている吸血鬼の冷徹な断言へ、まだ若い人狼は肩を竦めた。
『昔はどうか知らないけど、今だって十分すぎるほどエグイ場所だよ』
どこでアルジェントの配下に聞き耳を立てられているか解らないから、祭りの喧騒の中でも会話はごく小さな声で行われている。
それでもリアンは、ひどく真剣な表情でカミルを睨んでしまうのまでは、押さえられないようだった。
『俺だって、ディーナには身の安全を考えて、連中へ素直に従って欲しいさ。アンタはそれを責めないだろうし、もし責めたら、俺がその場でアンタを殴ってディーナを貰う。だけど……』
絶対にディーナは来ない、とリアンはもう一度言った。とても悔しそうな顔で。
サンドラとかけ去っていくその背を眺めつつ、カミルも自分がいっそう渋面となるのを抑えられなかった。
たかだが十年前に数分と、ここ数日の間をディーナと共に過ごしただけなのに、お前は何を根拠にそこまで言い切るのかと。
世の中には、自分の愛する相手を命がけで守る者もいるとは聞いている。
『命をかけても守る』というセリフは、愛の囁きとして常套句らしい。……とはいえ、口でそう言っても、いざ実際に出来る者は、殆どいないようだが。
ディーナは誠実で優しいが、単なる雇用主のカミルのために、命を張るとも思えないし、そこまで要求する気もない。
―― 命まで懸けて主人に尽くす職業なら、月に銀貨四枚は、どう考えても安すぎる。