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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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悪魔-2


「……ぅ、ぁ……」

 バロッコ夫人がここに来ると聞いたとたん、ディーナの喉から変な呻き声が勝手にこぼれた。全身から汗が吹き出ているのに身震いが止まらなくて、寒いのか熱いのかもわからない。
 ディーナの顔や膝に置いた手から、瞬時に血の気が失せて、氷のように硬く強ばったのを見ると、ナザリオが口笛を吹いた。

「ほぉー、まだ顔も見ないうちからこのザマか。おっかさんには逆らえないってのも、どうやら本当らしいな」

 ―― 私のお母さんは一人だけよ!! あの人じゃない!!

 そう叫びたかったのに、声も出せずに硬直して冷や汗を滲ませていると、ナザリオに顎を掴まれた。

「さっきの勢いはどこにいった? 俺に向かって、威勢のいい生意気をほざいたのは誰だ」

 不快も露な声に、このまま殴られると思ったが、そうはならなかった。代わりに、頬に指を強く食い込ませたまま、ナザリオは鋭く睨み付けてきた。

「つけあがるなよ。俺にとって価値があるのは、貧相な乳の小娘じゃなく、蛇王の三叉槍まで作ったっていう、あの武具師だ」

「ぅ……」

「てめぇを殺しても、武具師には十分な金と代わりの女を、幾らでもあてがってやれる。それでも専属を断わるなら、武具師も殺す。そうすりゃ最悪でも、夜猫の方につく奴を一人消せるんだ。俺は何も困らねぇ。さぁ考えろ。大層な口を聞けるのは、俺か? お前か?」

 長い口上を早口に言い終えると、ナザリオはディーナを突き飛ばすように離した。長椅子に倒れこんだディーナを見下ろし、酷薄な笑い声をたてる。

「そうは言っても俺だって、利益はでかい方が良い。だから、武具師を俺につかせる役にたつなら、お前にも少しばかり分け前をやると言うんだ。それを踏まえて、よく考え直すんだな」

 ちょうどその時、扉がノックされた。
 また影のように静かになっていた青年が、ナザリオの視線で命令を察し、素早く扉に駆け寄って開ける。
 開かれた扉の外には、青年と同じような黒服の男と……。

「ディーナ!!」

 実際はそれほど大声ではなかったのに、雷鳴のように聞こえた怒声に、ディーナは大きく眼を見開いて無言で喘ぐ。
 戸口に立っているバロッコ夫人は、みすぼらしい身なりで顔色も悪く、孔雀のように華々しく着飾っていたかつての姿は見る影もない。
 それでも、垂れ下がった瞼の奥からギラギラとディーナを睨みつけている眼光だけは、そのままだった。

 今にも気絶しそうなほど恐ろしいのに、意識はやけにはっきりとしたまま、ディーナはこの世で最も恐れている人物を凝する。
 凄まじい恐怖は、小路で彼女の夫に遭遇した時の比ではなく、腰が抜けてしまったのか、長椅子から立ち上がることもできない。

「手っ取り早く済ませるために、コイツには隣の部屋で、今の話を全部聞かせといた」

 ナザリオがバロッコ夫人に向かって顎をしゃくる。

「運が良かったな、婆さん。生意気娘のおかげで、念のために生かしといたお前にも、チャンスが巡ったわけだ。皮一枚で繋がってる首を落とされたくなけりゃ、せいぜい励め」

「ええ! ええ、勿論ですとも」

 バロッコ夫人が皴だらけの顔中に媚びた笑みを浮かべ、揉み手をせんばかりに何度も頷くと、長椅子へ駆け寄ってきた。

「さぁ、二年間も甘やかされて好き放題に暮らしてきたようだけれど、これからはそうはいかないよ! また、しっかりと躾け直してやるからね!」

 バロッコ夫人が家事や労働をしている姿など、誰も見たことはなかったが、彼女の腕力が意外なほど強いのは、農場の誰もが知っていた。特に、何度となく殴られてきたディーナは、嫌というほど身に滲みている。

 人形のように硬直しているディーナの頬をめがけて、夫人は太い手首を勢いよく振り上げたが……が、次の瞬間に苦痛のうめき声をあげていたのは、夫人の方だった。

「すみませんがね、アンタに求めるのは、こういうやり方じゃないんですよ」

 夫人の腕を後にねじり上げながら、部下の青年が淡々と告げ、ナザリオも苛立たしげに舌打ちをして夫人を睨む。

「婆さん。勘違いしてるようだが、薬や腕力で言うことを聞かせるなら、うちにはその道の玄人が幾らでもいる。俺がわざわざてめぇを使うのはな、長年積み重ねた上下関係でもって、その娘を無傷で心底から跪かせるためだ」

「っ……は、はい……」

 ナザリオのあからさまな脅しにたじろいだ夫人だったが、青年に腕を放されると、大きく身体を揺るって青ざめた顔に血色を戻す。
 そして、長椅子に力なく崩れこんでいるディーナの正面へかがみこむと、憎憎しげに睨みつけた。
 今の会話で、夫人に殴られることはないと解ったのに、条件反射でディーナはビクンと身体を震わせる。

 もし夫妻のどちらに遭遇しても、臆さずに立ち向かおうと決意していたはずなのに、守り石も失い恐ろしい男達にも囲まれている今は、その決意もあえなく凍り付いてしまった。


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